20200816 山さんの番外編ブログーその3
…今日は「盂蘭盆会」最後の日…いわゆる「送り火」を焚いて祖霊に、あちらの世界へ帰っていただく日ですね…「Sさん」に会えるのもまた1年先…現実では会えるわけではないから、「Sさん」のことを篤く思い起こす日が1年先…と言うべきかな…(=_=)
…で、「送り火」と言えば、京都の「五山の送り火」を抜きに語れませんが、私にとってはやはり「Sさん」のことで心は7割まで満ちており、残りの3割は、7年前に60歳でなくなった弟、その次に思い起こすのが父母、更に60年以上前、幼少の頃に亡くなった二人の弟…次に母の姉妹や母の母、いわゆる祖母…ここまでの故人は一緒に暮らしたことのある身内ですから、思い起こす順位が高くなりますね…そして父の兄弟5人、その他、友人が数名…知人は数知れず…いや、結構いるものです…( ;∀;)
…これらのすべての故人が、私の心に一定の濃淡と色彩をともなって存在しますが、私の命が終わるとき、記憶されたすべての命というか、これらの人々の残像が消滅することになります…そして私自身の残像も、妻や子供や孫、幾多の知人・友人の命の火が消えるとき、完全に消滅します…
…「生者必滅会者定理(しょうじゃひつめつえしゃじょうり)」の定めですね…
…念のため、「生者必滅会者定理」…この意味を考えてみましょう…
…直接的には、「命(生)ある者は必ず死に、出会った者同士も必ず分かれるのがこの世の定めである」となりますね…もとより仏教思想の教えですが、言外には様々な意味が導き出されます…(=_=)
…ひとつの解釈ですが…人と人との出会いは千載一遇のことであるし、その出会った人との関係も必ずいつかは終わりが来るわけであるから、せっかく出会った人との関係を自分から終わらせるようなことをせずに、その出会いを大切に温めて、かつ育んで、後悔することが無いように、心を込めて相手と向き合っていこうよ…みたいな(‘_’)…で、私自身はどうであったろうかと考えてみると…
…私があちらの世界へ旅立つときの「風列車」の指定席は、途中下車無しの地獄行き、間違いなし…(*’ω’*) ”(-“”-)” ((+_+)) …そこで、このブログを見ていただいている少数の知人と見知らぬ貴方にお願いしたいことがあります…
…お盆を迎える度に私のことも思い出していただき、供養の灯火を出来るだけ盛大に灯していただきたいのです…間違っても「貧者の一灯」とならぬよう念を押しておきますよ…だってね…私の罪の重さを考えたら、今にも消えいりそうな灯火ではね、私はいつになっても地獄から抜け出せませんからね…
…しかし、私の命、存在、声、言葉、肌の温もり、この背の低さ、頭の禿げ具合、これらのどれかひとつでも…憎いわけではないよ(‘;’)…と思っていただける方であれば、「貧者の一灯」も、まことにありがたし…線香花火のように一瞬に消えゆく明かりで十分でございます…
…で、ここは、その手元の一瞬の明かりと真逆の「五山の送り火」について、少し深掘りをしてみたいと思います…なんせ京都は私の38歳から40歳迄を受け入れてくれた恩ある土地でありますのでね…当時の私が所長として赴任した事務所は、烏丸五条から北へ50㍍程のメインストリート沿い…沢山の人々に支えられた2年間でした…
…当時の私は気力一流、求められる仕事に対する能力は三流…結果、二流の中途半端な人間でしたから、多くの方に迷惑もかけました…多くはフライングによる迷惑ですね…フライングの最たるものとして、当時、京都新聞に、「ときの人」というコラム欄があったのですが、そのコーナーに私が掲載されたことがありました…広報部の許可無しに取材を受けた挙げ句、顔写真入り…そして持論ばかりの言いたい放題…いや、怒られましたね…
…そんな京都での「五山の送り火」…京都へ赴任するまでの私は、「五山の送り火」と言えば、「大文字焼き」しか知りませんでしたからね…因みにこの「大文字山(右大文字)」…正式名称は「如意ヶ嶽」と言われてます…この大文字焼きを、10名くらいの仲間とともに鴨川の辺から見上げた時のことは、鮮明な記憶として思い出しますが、半数の名前が出てきません…
…認知症の始まりですよね…(>_<)
…さらに、この大文字には、左大文字と右大文字があることは、その時まで知りませんでしたね…
…「五山の送り火」において、「大」という文字以外の火形は「鳥居」、「妙」、「法」、「船」、等、「大」文字を含めて5種類となります…しかし、左大文字と右大文字がありますから、六山のはずですが、なぜか五山…ナンデでしょうかね…理由は、「妙」と「法」は一体的に捉えるため、「妙法」の山をひとつとしているようですね…
…この「五山の送り火」が始まった時期は、室町時代から始まったとも、いやいや、江戸時代からだよ…等と諸説があるようです…千年の都と言われる京都の一大行事の起源が定かでないということは考えにくいことですが、その間の記録が度重なる戦禍で消失したせいでしょうかね…
…で、この「五山の送り火」が何故始まったかというと、お盆の始まりに自宅に帰ってきた先祖の精霊を、お盆の終わりに見送るため、あの世へ通じる暗い道を明るく照らし、無事に帰れるように、との願いを込めて始められた、とも、言われています…
…なお、「「五山の送り火」」の写真を貼り付けたかったのですが、どれもこれも著作権で保護されているため叶いません…今日、16日は、ライブで配信するところもありそうですから、是非、ネットで検索してみて下さいませ…
…以上、山さんブログ番外編、その3を終えます…、下記に「五山の送り火」の位置図だけ貼り付けますので、せめてこれだけでも開いて見てくださいませ…
…で、今日の終わりも和歌にて…「Sさん」「盂蘭盆会」との、しばしのわかれ…
…送り火の 焔(ほむら)哀しき この4月 君逝きてより いまだ5ヶ月
…目の前の 写真見つれば 今まさに 玄関の戸が 開くる気もして
…あのときも このときもまた 楽しくて 破顔の手前 優しき笑顔
…父よりも 母よりもなお 色濃くて 君の残像 野辺に残りて
…君がよく 口に残せし 吾がことを 貴方は私 私は貴方
(最後の詠の意味は、Sさんがいつも私のことを命の恩人と言い(起因することが二度ほどありましたもので…)、後には私もSさんのことを命の恩人と言う状況が招来されたことに由来します…理由を話すと長くなりますので割愛しますが…ようは、そのような信頼関係があった心の繋がりを和歌に映しました)
下記の写真は、2021年11月4日、夕刻の癌センター行きが嘘であったかのような、田貫湖のひととき