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20221006 山さんブログ-13回目

…ということで、SEO対策の都合で、イヤイヤ?ながら書き進めている「家族信託」に入る前に、「日々のつれづれ」…んっ(@_@)…イヤイヤながら…は、少し違うなあ(-_-;)…せめて…イイヤイイヤかな…待てよ…それはそれでどっちなんだ…おっ、なかなかいいやの(^o^)いいや、なのか?…それとも、もうイイヤの(*_*)イイヤ、なのか?…難しいな…まっ、どっちでもイイヤ(°0°)

…で、次のブログ当番(10月6日)のために書き始めた今日は9月28日、午前9時10分、水曜日は我が社の定休日…この歳になって定休日を嬉しく迎えることが出来るなんて、ナンテ幸せなことでしょう…さらに室内温度26.3度、湿度45%、天気晴朗にして大気の流れはユルリゆるゆる…

…ベランダに置いたコーヒー焙煎機からは、ブラジル産の「アロマショコラ」が煎り上がったばかりの甘い香りを、ゆるゆると漂う爽風に乗せて私の鼻腔を酔わせておりまする…

…で、私め、普段、ブログをしたためる時間は夜ばかりですから、本日は気分も晴れやかにキータッチ…ただし、手は遅い、足も遅いし、会社でやることは遅いどころか、停止状態、いや瀕死状態と言うべきか…まっ、しかし、我が社の社長殿は「それでも良いから」という太っ腹…いや、たいした御仁ですヽ(゚∀゚)

…ところで、冒頭タイトル①の「日々のつれづれ」という言葉…辞書の解説をするわけでは無いので、私なりの感覚で言うならですよ…「昨日、今日あたりに感じた事を、思いつくまま取り上げてみましょうかね~(=_=)」…みたいな…私個人の心模様であり、何らかの定点観測に基づくものではありませんからね…ようは、無責任男の彷徨(さまよ)い事…迷言…寝言…ですから、ナンデモ有りなのだ…(-_-;)

…ということで、この「つれづれ」という言葉に想いを寄せてみますに…やはり「吉田兼好」の「徒然草」が顔を覗かせますよね…現在の教育現場はどうか分かりませんが、私が「紅顔の美少年軍団」に加入させて貰えなかった中学生時代、いやはや、さんざん覚え込まされた冒頭句、というか、序章…

…「つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ…以下、サラサラと続きます…」…

…意味するところは…「日々の孤独に任せて、日がな一日、硯に(今風に言えばパソコンですよね)向かって、心に浮かんだり、消えたりする、ナンてこともない事柄を、ナントナク書き付けてみたら、あららのら(*_*)、妙におかしな気分になって、モヤモヤしてきたぞ…」みたいな意味ですかね…まったく、仕事中の私そのものではありませんか…

…因みに、兼好法師が編んだとされる「徒然草」は鎌倉時代の後半、1300年頃の随筆で、同時代のものでは、他には、清少納言の「枕の草紙(西暦1000年頃)」鴨長明の「方丈記(西暦1212年)」が、「日本三大随筆」と言われていますね…

…私たちが中学生の頃、酷(ひど)く叩き込まれたものです…おかげでこの間、想いを寄せた…数えきるのに片手に余る女性の名前は忘れているものの、これら「三大随筆」の序章は、今でもかなりのところまでそらんじることが出来ますよ…

…子供の頃の学習が、如何に脳への定着率が高いかの証左でありますね…

…この兼好法師…良い家系に生まれて、官職に就くわけですが、26歳の折に「後二条天皇」が崩御したことで政権交代があり、出世に嫌気が差したみたい(諸説あります)で、出家し、…その後、遁世生活…このあたり、まるで「鴨長明」と兄弟か、と、思えるぐらいで、おそらく性格も似ていたのでしょうね…

…しかし、この二人、日本人の心模様を映し出す天才的な随筆家になるわけですから、貴方様も、貴方様の子供さんも、お孫さんも、今後、どれほどの人材として頭角を現わすか、楽しみでありますね~(^_^)

…で、もう一方の「方丈記(鴨長明)」の出だし…

行く川のながれは絶えずして、しかも本(もと)の水にあらず…よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし…世の中にある人とすみかと、またかくの如し…玉しきの都の中にむねをならべ、いらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經(え)て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり…と、(*゚Д゚) これまた、以降はタラタラと続きます…んっ(@_@)…どこか間違ってるかな…気にしない気にしない…

…まっ、そんな「くだり」から始まりまして、鴨長明の時代は、戦乱や人災、天災等があって、それらに苦しむ町人の様々な不幸を嘆き悲しんだ様子がうかがえますね…そんなことが前後して5、6度ほどもあり、当人、鴨長明は「無常観」に満たされて、50歳で出家したようです…

…因みに、「無常観」というのは、無常という現実を「見」るのはつらいけれど、そのつらい現実を「観る」ことで、人生に於ける本当に大事なことはナンなんだ、という真実に辿り着くという考え方がありますね…このことを、仏教では、「諦観」ともいうようです…

…で、この「諦観」の意味はと言うと…

…物事を「みる」、心の位相、が、「悟りの境地」にある状態を指すようです…凄いですね~(°0°)

…で、この「方丈記」が編まれたのは1200年過ぎ…徒然草より100年程前です…

…ほんに、昔の人たちはエライねえ~(*_*) (*゚Д゚)

…因みに、「方丈記」が編まれたとされる1212年前後頃といえば、1919年に頼朝が他界した時期を挟み、NHKで放映中の「鎌倉殿の13人」と時代がピタリと重なりますね…まさしく戦乱期、真っ只中…

…この「方丈記」が編まれたのは、京都の洛北に建てたとされる方丈庵でのこと…対象がコロリと変わりますが、その50年ほど前には、もう一人のエリート大歌人、「西行」が、妻子を捨てて、高野山だったか、吉野の山中に「方丈庵」を建て、隠遁生活を送っていますね…しかし、この「西行」…妻子への付け届けはしていたみたいですよ…(*゚∀゚)…子供が成人するまでかどうかまでは分かりませんがね(°°)

…で、吉野の「方丈庵」へは、私も言ったことがあります…(=_=)

…但し、建物はシンプルではあったものの、所詮は観光者向けの現代版造り…とはいえ、往時を忍べる程度の雰囲気はございましたがね…

…その、西行は、「源頼朝」とも会ったと伝えられていて、頼朝から「和歌」のこと聞かれて、西行はこのように答えたと言われています…「歌とは、花月を見て感動したときに、僅か31文字を作るだけのことで、それ以上のことを私は知りません」…とね…嘘かホントかは分かりませんよ…誰も会っていないしね…ただ、その辺りのことは「吾妻鏡」にも記述があるとか、無いとか…

…ともあれ、コトが「西行」に及ぶと、ハナシは尽きませぬよ…なんたって、私が入れ込んだオヒトですからね…んっ(@_@)…消えなさいってか(-_-;)…では、ハナシを元に戻しましょう…

…_(._.)_…ともあれ、あの天才俳諧師「芭蕉」が心底、尊敬したというオンカタですからね…西行は東北から平泉にも二度ばかり旅をしておりましてね、「藤原の秀衡」とも面識があったようです…もっとも、西行は、奥州藤原氏の一族でもありましたからね…

…東北への旅については、江戸前期の「松尾芭蕉」の後に続いた、江戸中期の「小林一茶」あたりも同じコトが言えるんでしょうね…そうそう「小林一茶」と言えば、面白いエピソードがありますよ…

…自由奔放な作風のとおり、「性豪すぎて過労死した」…なんてね…いや、私が言っている訳では無いですよ…又聞きの又々聴きの又聞き…

…で、この時代(江戸時代)の俳諧師として欠かせない、もう一人の有名人が「与謝蕪村」…時代的には、松尾芭蕉が江戸初期の俳諧文化の寵児となり、俳諧人気が弱まる頃に「与謝蕪村」が中興し、その後、先行した前二名の作風に囚われることなく、自由奔放に17文字を奔らせたのが「小林一茶」…そんな流れでしょうかね…

…もちろん、その後も俳諧文化は江戸後期、明治、大正、昭和、平成、令和へと脈々と連綿しており、昭和の後期からでしたかね…俳諧は「サラリーマン川柳」という一大文化へと大衆化し、「17文字」の底力を発揮させたことは頼もしい限りとも言えますね…

…この間、歌人を含め、女性の活躍が躍動し拡大したとも言えます…日本文化の底力に感歎を覚える次第…(^_^) すごいぞ~日本(*゚ロ゚)…で、記録が残りやすくなった江戸後期からの歌人・俳人等にスポットを当てると蟻地獄に落ちます…(*゚ロ゚)しかし書きたい…だが、やはり止めておこう(-_-;)…時間と知識の絶対量がタランチュラ(≧◇≦)

…で、ハナシを「西行」に戻しましょ…(゚◇゚)

…ともあれ、この「西行」…何が凄いって、「新古今和歌集」には、最多の94首が入選しておりますから、まさにスーパー歌人…生れもエリート…400年後の芭蕉が惚れるわけだわさ…(~o~)

…因みに、この西行には私も惚れてる…若いときから「西行本」は何冊かを読んでいますからね…

…ところが、ほとんど手元に残ってない…あるのは、1993年23刷りの、白洲正子の「西行」…のみ

…嫁が処分したに違いないが、気付いていないことにしよう…

…ここで、私が心惹かれた西行の沢山の「和歌」から、3首だけご紹介しましょう…

…ゆくえなく 月に心の すみすみて はてはいかにか ならんとすらん…

 ※意味としては、…月を見ていると、何処までも心が澄んできて、このさき、自分の心はどうなってしまうのだろうか…みたいな意味で(=_=)…魂が天に溶け込んで行く感じかね~(*゚д゚*)

 

…吉野山 花の散りしに 木の下に とめし心は われを待つらむ…

 ※意味としては、…吉野山の桜が散った木の下に、私の心が奪われたままだけど、あの桜は今も私を待ってるんだろうな…みたいな意味ですかね(=_=)…

…あほ~、独りよがりも甚だしい~(*゚Д゚)って、言いたくもなるけどね…(-_-…、しかし、素晴らしい

…で、最後は、私(山さん)が独断で評価する「西行」の代表歌…

…願わくば 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃…

…意味するところは私が言うまでもありませんが、念のため…

…私もいずれ死を迎えるが、叶うことなら、2月15日頃の、煌々たる満月の光を受けた桜の木の下で死にたいものだ、…と言うことですから、いよいよ桜が好きだったんですね…こうしてみると、日本人の桜好きは遺伝的な嗜好性とも言えそうですね…

…そうそう、思い出したので追記…

…このサイゴウドン…違った、西行どん…結構女性に持てたようでしてね…当時の良家の婦女で恋多く、「女西行」と呼ばれるほどに西行に惚れ込み、自らも、「とはずがたり」という日記調の「紀行文」を編んだ、「後深草院の二条」という貴族など、西行が修行行脚の旅をした、その足跡を辿ったと言われていますからね…

…他にもいたのでしょうね…西行を慕った女性たち…今でいうなら「おっかけ」、アチラ風に言えばパパラッチみたいなものかね~(^_^)…カメラが無いからチト違うかな…、

…で、この後も西行贔屓で出家した人がいますからね…すごい影響力ですね…後の芭蕉もその一人…

…そういえば、私の知り合いにも居ましたよ…松山千春を追っかけて、東京での仕事も辞めて北海道へ移住した女性が…(このくだりは以前にも紹介しましたかね…)

…ということで、ここまで書いたからには、この時代の「代表的(随筆)三部作」の最後の一人、清少納言の「枕の草紙」に触れないわけにまいりませんね…

「枕の草子」は前述(西行は入っていませんよ)の二作品(徒然草、方丈記)より更に古く、平安時代の中期、西暦1000年頃の作と言われています…

…で、こちらは、流石は女性目線…心に触れる美しい描写があるかと思えば、人の悪口だけに止まらず、清少納言本人の腹黒さもチラホラ、と…あるあるあるの十二単(じゅうにひとえ)模様の話題性…まるで最近のブログかツイッターの人気版ですな…

…んでもって、この「枕草子」の序文というか、第一段はというと…

…「春はあけぼの、ようよう白くなりゆく、山ぎは少しあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたるはおかし」… (キレイですね~)

で、これを今流に言うなら…春はなんと言っても明け方(あけぼの模様)が良いねえ、空と山の稜線の境が少しづつ白くなって、明るさを増して、さらに紫がかった雲が細くたなびいていて、その様子がナンとも美しいわね……等と、つぶやいているのが伝わってきますよね…

…で…

…「夏は夜月のころはさらなり、やみもなほ、ほたるの多く飛びちがいたる、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りていくもおかし、雨など降るもおかし」…と綴られていましたね…

ここも、今流に言うと…夏はやはり夜が一番…満月の頃は言うまでもなくて、新月の頃に「ほたる」が飛び交う様子は最高ヽ(゚∀゚)…その蛍の1匹か2匹がほのかに光って飛んでいくのを見てるのも、なかなか趣があってしゃれてるし、夏の夜の雨も悪くないな~、…と、こんな感じかな(=_=)

…次に…

「秋は夕暮れ、夕日のさして…、、、もういいかな(°°)、省略…」

…「冬はつとめて、雪の降りたるは、いうべきにもあらず、霜のいと白きも、…、、、ここももう、省略…」

…と、冒頭は「春」の夜明け前を称え、「夏」は夜を賛美し、「秋」は夕暮れ、そして「冬」はなんといっても雪…(*゚∀゚)…

…あらら、アララ…あらま~、(°°)貴方様も学生時代を思い出してきましたね~…

…んっ(@_@)…なして、秋と冬が途中から 「…省略」なんじゃ? ですと(°°)…

…ふむ(=_=)…オヌシ、からんできたか… 嘘はイカンから、正直に言うと…

忘れた~ヽ(゚∀゚)…のだ全部覚えていると思ったが、無念残念(≧◇≦)…認知症かや(-_-;)

…で、本当に面白いのは、このオンカタ、清少納言(今流で例えるなら、佐藤愛子さんの若い頃かな…)は、美人の誉れ高かった「紫式部」とライバル関係にあったとか…真偽の程は定かではありませんがね…でも、ナントナク、さもありなんと思えますよね…

…ところで、この紫式部「源氏物語」は、世界最古(1008年が初出と言われています)の恋愛小説ですからね、イヤハヤ、大したものなんですよ…当時は活版印刷なんてありませんからね、写本が重ねられて、おそらくですが、清少納言も読んだでしょうね…

…この「源氏物語」では、たしか15名前後の女性達が「光源氏」との濃密な逢瀬を重ねるわけですが、この中に、「紫の上」という娘が出てきますのでね、私なんか、ついつい紫式部その人ではないかと勘ぐってしまいますですよ…しかも物語の最終域では、この「紫の上」が正妻に昇格(ただし、私の勘違いかもしれません)していますからね…

…一方で、「源氏物語」主人公の「光源氏」は実在したとか、いや、架空の人物だという説や、いやいや、嵯峨天皇の子供がモデルだとか…他にも諸説入り乱れ…

…で、清少納言から見れば、紫式部なぞ、自叙伝的恋愛小説に毒された「エロ女」

…私は時代の先端を行く、才女な売れっ子文学者…みたいな見下し方をしてたかもよ…(*゚Д゚)

…はたして、どちらが賢く、美人であったか…?…どなたか、知らんかえ~(°0°)

…と、いうことで、「源氏物語」も独善的に感想会を展開して行くと、ドエライ時間とページが必要になりますからね、ここでオワリ~(^o^)…それに、書こうとしたら、もう一度読み返さないとね…(*゚Д゚)

…で…ここで、改めて強く感じることがありましてね…日本人は…「山川草木が包含された天と地」を対象に物思いに耽るときや、静かに心を澄ますときに感じる五感の琴線というか、感情・感覚、これらの心象波は、この1000年、いやおそらく2000年3000年前から、ほとんど変化することもなく、連綿とDNAに受け継がれてきた「大いなる遺産」であったのだな…との、確信を得ますね…

…んでもって、またまた余談でありますが、「枕の草紙」「夏」のくだりに「新月」が出てくるわけですが、私は、この「新月」を、勝手に「糸月」と命名しておりましてね…

…で、十代の私が詠んだ短歌が…

「糸月の ほのかな明かり 受けており 君のうなじに つと触れてみる」

…この時の相手は誰かな?…現在の老嫁では無いぞ…高校生ぐらいの時の創作じゃからね…たぶん、高校生の折に、中学三年生であった「○○隆子」さんに、自分が苦手な数学を教えていた頃の創作じゃな…創作とは大げさだな…瞬間歌じゃからね…

…で、この「○○隆子」さんについて語るなら、ナンと言っても、私の判断力がそこそこ身についてからの「初恋の人」という事実を抜きに語れませぬ…その日も、私が苦手な数学を教えた帰り際であったと思いますが、アッと言う間の早業で…次なる短歌の世界へ…

…未熟なる くちびる合わせ みたものの 瞬時離れる 戸襖の音…

…これには解説が必要ですね、この時、「○○隆子」さんの背中を、勉強していた部屋(和室)と応接間(和室)との間仕切りの戸襖に追いやったのですが、この戸襖がガタっと音をたてましてね…隣室には家族どころか、何名かの訪問者がおりましたから、いや、焦りましたで、慌てて離れた次第…いや~私にも純粋な時期がありましたね…(-_-;)

…結果、その隆子さんとは、私から距離をとるようになり、それ以上の関係に発展することはありませんでした…なんせ、毎日のように多くの訪問者がある家庭でしたから、私が訪問する度に、その多くの訪問者(若者も居ましたが殆どが年配者)が、「当家の娘に手を出したら許さんぞ」…みたいな、特に「おばさま方」の目線の怖かったこと威圧感が凄かった

…私自身が小心者であったこともありますね…その後、彼女が彼女のお姉様と連れだって、一度だけ、相生市坪根という集落の借家の我が家に来てくれたことがありました…が、彼女の家庭環境は、私が入り込むことの出来ないサンクチュアリとして、私の足はすくみっぱなし…そして年月は流れました…

…若者ゆえの熱き心が、若すぎる時を憾(うら)んだ、爽やかで、ほろ苦い初恋の終焉です…

…さて、寄り道から本題に戻りましょうかね…満月で思い出す自作の一首…

「満月の 満つる誉れに 照らされる 清少納言 紫式部」…これは明らかに中学生の時の作…

…「満」が重なっているけれど、ここらは中学生のやること、目を瞑りましょ(°°)

…んでもって、時計を見ると…

…ぎゃ~、…もうお昼をとっくにとっくに過ぎて、午後4時じゃ~ん…、(≧◇≦)

…ということで、本日は、1週間に一度の、愛犬「ハッピー」のシャンプー日和…

…第二部の「家族信託」は、明日以降の夜なべ仕事(遊び気分半分)です…

…で、ここまでの1週間、体調は絶不調、本日は10月5日の水曜日…この間、ブログ創作はお休みでしたが、またまたの水曜日…愛犬のシャンプーを終えて、「丸池」へ散歩したときの写真を貼り付けまするよ…(^_^)… …「ハッピー、じっとして…と命令した直後のお澄ましスタイル」…

…こちらの写真は、「ハッピーの写真の左上の大邸宅」で、「丸池」に隣接する、某建設会社のオーナーの敷地の一角に建てられた貸家(貸事務所かも)の壁画で、つい最近まで、当家が飼っていた柴犬(よく描けていますね)…右側の石像はオーナーのお父上かと思われます…

…ということで、課題の、SEO対策の為の「家族信託-その5」に入りましょうかね…

…前回のオワリは、「家族信託」がオワルときのオハナシでしたね…

…んでもって、その間、「家族信託」についてはメリットを中心に進めながら、一方の「成年後見制度」については、デメリットを中心に進めていたように思われます…で、これではイカンなあ…と私の善性が目を開けたものですからね…「家族信託」についてはデメリットを、「成年後見制度」についてはメリットを取り上げてみたいと思います…

…双方のバランスをとりませんとね…

…先ずは、「家族信託」の「デメリット」で言いますと…

  • 信託財産に不動産があるときの、その不動産の損失については、損益通算が出来ないと言われています。これは結構イタイかな…
  • ランニングコストから言うと、「成年後見人制度」を利用するより安価になりそうですが、設計段階で専門家にお願いすると、最初は高く感じるかもね…さらに、公証人役場での手数料や、法務局での登記費用、司法書士への手数料とかも発生しますからね…
  • で、そもそも、実務に精通した専門家が少ないということがありますね…私だって、知識としてはそこそこかなと思いますが、少しややこしい設計になると、他の方に相談しますからね…
  • 「家族信託」を組んだからといって、税務上のメリットがあるわけではありませんからね…逆に、税務申告の手間は余計にかかります…
  • 1次相続だけでなく、二次以降の相続が生じた場合の財産承継者を、事前に決めることが出来ますが、これは、見方を変えると、長期間にわたって資産の処分が出来ないということもあり得ることですね…

※但し、上記の②、③、⑤の問題点は、「家族信託」の組み立て方次第で回避することが可能ですよ…

…次に、「成年後見人制度」を利用することの「メリット」ですが…

  • まず、メリットと言えるかどうかとも言えますが、「成年後見人」が法定されると、凍結されていた金銭や不動産の利用、活用、処分などが可能になります…ただし、「成年後見人」が事由にできるわけではありません…取り組む内容にもよりますが、家庭裁判所の許可が必要な場合もあります…(^_^) 基本的には、家庭裁判所による厳格な管理が行われます…
  • ひとつの事例ですが、「成年(被)後見人」が詐欺に遭っていたり、重要な事項について契約を締結していたとしても、「成年(被)後見人」本人はもとより、「成年後見人」が、その契約を取り消すことが出来ます。この取消権は「成年後見人制度」の核心ですね…「家族信託」ではこのような制度はありませんよ…それから、この取消権は、「任意後見人」には付託されていませんからね…勘違いしないでね(゚◇゚)

…ということで、「家族信託」と「成年後見人制度」のメリット、デメリットのバランスが取れましたから、次に進めましょうかね…んっ(@_@)…けっきょく、どちらが良いのか分からん…てか(*゚Д゚)…そうね(=_=) 総合力から言って、明らかに「家族信託」の勝利かな…ヽ(゚∀゚)…ナンデやねんってか(-_-;)…それはね、そもそも論だからですよ…

…そもそも…「家族信託」を考えるというのは…じいちゃん、ばあちゃん、あるいは、父ちゃん、母ちゃんが認知症になった場合の「資産凍結」を防止するための制度ですからね…ここがミソですよ(°0°)

…で、…私の独断と偏見で、「家族信託の」勝利を宣言したわけですが、「成年後見人制度」だけでない、その他の制度との関係はどうなんじゃ…というようなご意見もあろうかと思いますからね…認知症度、30%くらいのこの頭で思いつくまま比較してみましょうかね…

…相続税対策のための生前贈与…について

…遺留分侵害額請求を見据えた、早期の生前贈与…について

…生命保険の活用…について

…以上三点を取り上げようと思いましたが、今回も随分と長くなりましたね…

…私のブログ三部作のトリ…

…「山さんブログ-幼少期物語-その12」を含め、次回に回すことに致します…

 悪しからず

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