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20221107 山さんブログ、17回目

① 日々のつれづれーその6

② SEO対策の為の「家族信託ーその7」← またまた次回へ

③ 山さんブログー幼少期物語ーその13 ← 同上

…11月7日の当番ブログに向けてキータッチを始めた、ただ今の日時は11月5日の午前3時、小心者の私は、気になることがあると、深夜、突然に目が覚めてしまうことが多々あります…この手の同輩の輩(やから)も少なくはないでしょう…で、ひとたび目が覚めてしまうと眠れるものではありません…

…ここが恍惚の世界が近づいた者と、ぐっすり眠れる若者との違い、脳下垂体と肉体的機能の根源的な差異とでも言いましょうか…で、この事実に抗ってもナニかが変わるものでもありませんから、ここは潔(いさぎ)よく覚悟を決めて、コロンビア産のストレートコーヒー(ヴィラ・グランスィート)を煎れて、深夜の活動開始…

…もちろん、全ての行動は隠密を深めての「抜き足差し足忍び足」、手曳きのコーヒーミルは「ガリガリ」と大きな音が出ますから、台所から一番遠い北側の居室に行ってからとなります…この間、愛犬が私をピッタリとマーク…忠犬であるが故の条件反射ではありませんよ…私をマークしていれば何かを口にするに違いないという賢さ(?)に裏打ちされた観察行為に過ぎません…

…もとよりこの時間帯、私は愛犬の期待を裏切ってスルーします…何はともあれ、音を立てないこと…これが深夜寄稿の原則でありますからね…んっ(@_@)…なしてっ?、てか…そりゃーあなた、嫁の目覚めとその後の反応を恐れてのことでありますよ…

…なんせ、我が家の序列は無限のトライアングル…嫁は私より上位、私は愛犬より上位、愛犬は嫁より上位…この絶妙の引力関係がかろうじて我が家の安寧を担保している訳です…であればこそ、嫁を起こさぬように、怒らさないように…しずかに静かに(=_=)サイレント…サイレンはダメですよ…(*゚д゚*)

…また一方では別の力関係が存在しまして、こと、健康面への視点から概観しますと、嫁から愛犬への注意力は何よりも優先されておりますのに、私に対する体調への観察眼は広角レンズみたいなもので、ターゲットを定めてズームで観ることはありません…したがって、私が寝込まないかぎり、私の不調を気遣うことは無いのであって、この事実をもって一つの処世訓に行き着くのであります…

…私の嫁に対する其れ、嫁の愛犬に対する其れを鑑みますに、人というのは、自分より立場が上の者に対しては、限りなくへりくだる、というか、ゴマをするというか…道理で、私のこれまでが、私以外の全ての人に対して「謙虚」であったことに納得する次第…ただ一人、いや、タダ一匹、私にへりくだるのは愛犬、ハッピーだけ…(*_*)

…ということで、イントロダクションが長くなりました…本題に入りましょう…「日々のつれづれーその6」でしたね…深夜に目覚めた気になることと言うのが、このブログのテーマです…本日の冒頭で、人の老若に触れましたが、昨夜、そのことを考えながら眠りに就きましたので、ここからは「老いと若さ」について考えてみます…で、眠りに就く前に…「そう言えば…」、という感じで思い出していたことがあります…

…その昔、20年間ほどの長きにわたり、手帳の見開きに貼り付けていた「お(^_^)言葉」があります…ドイツ出身のアメリカ国籍(ユダヤ人)の詩人で「サミュエル・ウルマン」の「青春」という「散文詩」です…

…これは、1985年頃、日経ビジネスで紹介されてから大人気となりました…

…それ以前では、ダグラス・マッカーサーが、その後には松下幸之助が座右の銘にしたことから更にその人気に拍車がかかったと言われています…

松下幸之助 額 青春

…それ以来、多くの企業人の精神的な支えとしてバイブル的存在になりました…

…因みに昭和天皇とダグラス・マッカーサーが並んで写された写真の部屋にも、この「青春の詩」が掲示されていたと言われています…

…で、その昔、私は、「リーダースダイジェスト」という月刊誌の日本語版を購読していた時期があり、日経ビジネスで掲載されたときの前後は不明ですが、手帳の見開きに我流翻訳を貼り付けておりましたから、社会現象化する前からの刮目(かつもく)眼の先見性に優越感を感じたものです(゚д゚)…

リーダーズ ダイジェスト 日本語版

…この「青春」の散文詩が編まれた時期(110年程前)を考えると、おそらく、それまでにも、リーダースダイジェストでは何度か掲載されたのではないかと考えます…ともかく胸を打たれました…まだ三十代でしたが、人生の意義を考える遅咲きの多感な年頃でしたからね…

…なお、リーダースダイジェストでの掲載では英語文と日本語文が並んでいましたから、なしてこの英語がこんな日本語に翻訳されるんじゃろう等と、まるで英語が分かるみたいに訝ったフレーズもありますが、それは由としましょう…

…この「青春の詩」は、サミエル・ウルマン(1840年生れ)が70歳の折にしたためたものだと言われておりますが、その25年後に日本でも大ヒットしたという経歴です…紹介してみましょう…

まずは、「松永安左エ門」という偉人の邦訳です。

(このクダリは小林様お一人へ : 「耳庵」という店名(屋号)は、このオンカタの雅号を引用されたのかな…(゚д゚)(^_^))

…で、松永安左エ門の邦訳…「青春」の詩はというと…

青春とは、人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ.

逞(たく) ましき意志,優れた創造力,炎ゆる情熱,怯懦(きょうだ) を却(しり)ぞける勇猛心,安易を振り捨てる冒険心,こういう様相を「青春」と言うのだ.

年を重ねるだけでは人は老いない.理想を失う時に初めて老いがくる.

歳月は皮膚のしわを増すが,情熱を失う時に精神はしぼむ.

苦悶や狐疑(こぎ)や,不安,恐怖,失望,こういうものこそ恰(あたか)も 長年月の如く人を老いさせ,精気ある魂をも芥(あくた)に帰せしめてしまう.

年は 70 であろうと,16 であろうと,その胸中に抱き得るものは何か.

日(いわ)く,驚異への愛慕心,空にきらめく星晨(せいしん) ,

その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰(きんぎょう) ,

事に処する剛毅(ごうき)な挑戟(ちょうせん),

小児の如く求め止まぬ探求心,人生への歓喜と興味.

人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる.

人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる.

希望ある限り若く、 失望と共に老い朽ちる.

大地より,神より,人より,美と喜悦,勇気と壮大,

そして偉力の霊感を受ける限り人の若さは失われない.

これらの霊感が絶え,

悲歎(ひたん)の白雪が人の心の奥までも蔽(おお)いつくし,

皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば、

この時にこそ人は全くに老いて、もはや神の憐(あわれ)みを乞う他はなくなる.

…この「松永安左エ門」という風流人は、上述のとおり、1875年生れの人で、電力業界の父とも、鬼とも言われた実業家です…松永安左エ門がこの「青春の詩」に出会ったのは、下述する「岡田義夫」より早かったものと推測しますが、「岡田義夫」の翻訳文の「青春の詩」が「松永安左エ門」の訳を駆逐してしまいましたね…しかし、松永安左エ門の「青春」も素晴らしいですね…

…ともあれ、最初に「青春の詩」を邦訳したのは「松永安左エ門」だと思いますので、興味のある方は「ウイキペディア」を開いて功績ある先人を慧眼(けいがん)なさっては如何でしょう…

…次に、「岡田義夫」の訳を並べてみます…

…「岡田義夫」は、1945年12月号(英語版)のリーダースダイジェスト(英文)に掲載されていた、この「青春」の詩を日本語に翻訳した人で、巷に流布した「青春」の詩はこちらが主流です…

…なお、「岡田義夫」の略歴紹介は…

昭和3年3月10日呉市に生まれる。 後に大阪大学名誉教授。
昭和32年に、世界で最初に「細胞融合」に関する論文を発表。
生体外における細胞融合の条件の決定や、ヒトをはじめ広範囲の細胞どうしを「センダイウイルス」により融合させることができることなどを知見し、細胞融合法を、新しいバイオテクノロジーの大きな柱として確立する道を開く。とあります…(*゚д゚*)…なんか、凄いでしょう(-_-;)

  • 昭和62年 文化勲章受章
  • 平成20年1月16日 逝去

…岡田は1891年生れで、松永より若いせいか、訳詞が現代的にアレンジされています…

…(余談ですが、私の我流和訳は更に現代風でしたが、それでも古風でしたね…)

…なお、群馬大学工学部の創立七十五周年に、この「青春」の詩が記念碑として建立されています…

…山形大学工学部にも、この「青春」のモニュメントがあるようです(^_^)よ…

…で、岡田義夫の翻訳は、というと…

青春とは人生の或(あ)る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。

優れた創造力、逞(たくま)しき意志、炎(も)ゆる情熱、

怯懦(きょうだ)を却(しりぞ)ける勇猛心、

安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。

歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。

苦悶(くもん)や、狐疑(こぎ)や、不安、恐怖、失望、こういうものこそ恰(あたか)も

長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥(あくた)に帰せしめてしまう。

年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。

曰(いわ)く、驚異への愛慕心、空にきらめく星辰(せいしん)、

その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰(きんぎょう)、

事に処する剛毅な挑戦、小児の如く、求めて止まぬ探究心、人生への歓喜と興味。

人は信念と共に若く  疑惑と共に老ゆる。

人は自信と共に若く  恐怖と共に老ゆる。

人は希望ある限り若く  失望と共に老い朽くちる。

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、

そして偉力(いりょく)の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。

これらの霊感が絶え、悲歎(ひたん)の白雪が人の心の奥までも蔽(おお)いつくし、

皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば、この時にこそ人は全くに老いて、

神の憐あわれみを乞(こう)る他はなくなる。

…ということで、「カドカワ」などを含め、名のある方の何名かが和訳しておりますが、それぞれ、ニュアンスの捉え方が少し異なりますね…

…ひとつ不可思議なのは、私が見た英語の原文では、上記二人の訳の70歳のところが、60歳になっていたように思い起こされますが、上の二名の訳は二人とも70歳…どうやら私は若いときから惚けていたようです…

…ともあれ、ここで、「サミュエル・ウルマン」の大まかな軌跡を貼り付けておきましょう…

サミュエル・ウルマンはドイツで生まれたユダヤ人である。
サミュエルが11の頃、家族でアメリカに移住。

アメリカの南北戦争勃発時、サミュエルは兵士として南軍(アメリカ連合国軍)として従軍したがのちに除隊、その後は商売を始める。27歳で結婚後は8人の子宝に恵まれた(うち6人が成長した。)商売は金物屋から不動産など商売の経営の才能に秀でておりさらに市会議員や教育委員会の委員など、いわゆる地元の名士となる教育委員として在任中は「黒人にも白人と同様に教育を受けさせるべきである」という考えを持ち、黒人教育の必要性を説き人道主義者であった。

…以上ですが、検索サイトによってはこの経歴も少し異なるものがあります…

以下、書籍「サミュエル・ウルマンの生涯とその遺産」と彼の写真

…この書籍は持っていないので、ネットからの借用です… 

…以上、今回ブログは「青春」の詩だけが弾けましたが、もとより「青春」をベーステーマにした小説や映画、歌謡や絵画、俳諧やその他の短詩…それこそヤマのようにありますね…

…また、青春を代表する精神の放出現象に、形而(けいじ)上下の「愛」が有ります…

…この「愛」についての代表的な、かつ、羅針盤的な珠玉のフレーズを紹介しましょう…

  愛には、愛される愛と、愛する愛がある…

  どちらも愛には違いないが、より純粋で、汚れがないのは愛する愛である…

  愛する愛は、自らのいかなる犠牲をもかえりみない…

…以上、まるで私が皮膚保全機能に優れた愛犬専用の高額なドッグフードや馬肉を購入する金銭、週1回のシャンプー、朝夕各1時間前後の散歩、その都度のブラッシング、果ては添い寝という、愛犬に求められるまま注ぐ無償の「愛」そのもではありませんか…(°°)

…次に「青春」の様相をターゲットにし、熟達の英知たちが発した「つぶやき」をご紹介しましょう…

…紀元前のイタリアの政治家で弁護士・哲学者でもあった、「マルクス・トゥッリエス・キケロ」という御仁の「オコトバ」です…

 私はその人柄のうちにいくらか老人的なものを持っている青年を好ましく思う。

 同じように青年的なものを持っている老人を好ましく思う。

 このような規則に従うところの人間は、身体が歳をとっても「心」が老いることはけっしてない

…と、このように言っています…

…如何でしょう…紀元前100年以上前ですから、現在から2100年前の「叡智」…

…2000年後のサミエル・ウルマンに先鞭(せんべん)をつけた御仁がいましたね~(°0°)

…もちろん「キケロ」以外にも青春や青年というカテゴリーで後人を諭した知覚者たちは沢山います…

…さしずめ、近代日本での代表者は菊池寛や福沢諭吉でしょうかね、他にも沢山いますね~(^_^)、柳田国男や南方熊楠、折口信夫も、さらに和辻哲郎や西田幾太郎…いやいや、いるいるいる~(゚◇゚)

…海外にあっては、サルトルやゴーリキー、シュバイツァーやロダンもそうですし、トーマスマンやルソー、他にも沢山いますが、私が詳しくない人の名は割愛しま~すヽ(゚∀゚)…

…次に「青春」を人生訓のエキスに纏めたスエーデンの諺(ことわざ)を紹介しましょう…

 「愛のない青春、知恵のない老年 これ既に失敗の一生である」 むむむっ(°°)私のことか…

 「なるほど、少年老いやすく学成り難し」…と言うから、既に私には手の届かぬ世界か…

…方や、この「年齢」や「心」を内観しつつ、ある女性が晩年に吐露した思いを綴ってみましょう…

  若い人を見ると、ほんとうに美しいと思う。素晴らしいと思う。

  そして、「もう一度若くなりたいわ」、などと口に出してみる。

  でもさて、本当に神様が「お前を若くしてあげよう」、と言ったとしたら、

  私は、「いいえ、いいえ、もうこれで結構です」、というだろう。

…如何でしょう…教育者であり、詩人でもあった、高田敏子のことばですが、なんと自信に満ちた心模様でしょうか…

…おそらく彼女の一生は、様々な「愛」に満たされ、かつ満たし、自らの知識を発酵させ、芳醇な知恵と天声のような響きを満載した「言の葉」で人々を幸福にしたのでしょうね… 以下に略歴を転載しましょう…続きはウィキペディアでご覧下さいませよ…m(_ _)m

高田 敏子(たかだ としこ、1892年4月10日 – 1974年4月1日)は日本の女子教育および英語教育を先駆的に推進した教育者静岡県田方郡三島町(現在の三島市)出身。

…女子教育の先駆者と言えば、津田塾大学を創立した「津田梅子」が抜きん出てはいるものの、三島市が輩出した同類の偉人がいましたね~(^_^)…

…ということで、今週も多忙でありましたゆえ、これにて失礼~(~o~)

以上、最終の校閲日時:11月7日(月) 午前4時45分

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