2023/4/13 山さんブログ-その35
…さても…不思議と言うほどのことではありませんが、奇遇か奇縁か、「こんなことがあるかなあ」と感じることが重なりましたので、チョイとご紹介します…
…以前に、「牧野富太郎(1860年代生まれ、高知県の人)」という植物学の権威の「ザレ歌」をご紹介したことがあります…
…で、この4月から、NHKの朝ドラ「らんまん」のモデルとなったこのオン方…
…4月の始めに、我が家の「神様」が…牧野万太郎という人を知っているか?と聞くので、そんな名前の友人はオランダ…と答えて、牧野富太郎なら嫉妬ルよ…と答えたもんだ…いや、まったく、彼我のオン人は嫉妬するしかない博学でありますからね…
…私も若い頃の一時期、高山植物保護協会の会員でありましたからね、で、「神様のご高説を」聞いていると、この4月から、この、近代植物学の権威が朝ドラの主人公として採り上げられたとのこと…んっ(^_^;)…漢字が間違っているとナ…いやいや…植物を山ほども採り、標本にしておりますからね、この字で良いのです…
…で、再掲ですが、彼のザレ歌は…
…草を褥(しとね(布団だね))に木の根を枕 花に恋して五十年…
…彼の描写力ときたら、写真よりスゴイよ~、そんな彼が世の中というか、学会に認められ、博士号を得たのは確か60才を過ぎてからだったかな…ひたすら 努力の人だったんですね…
…だからと言う訳ではありませんが、同時期の博物学・細菌学の権威で天才思想家の「南方熊楠(1860年代生まれ、和歌山県の人)」を随分嫌っていたようですよ…
…写真の眼光からも感じられるように、天才中の天才であった彼、南方熊楠は、「知の巨人」とも言われていますね…18カ国語を自在に操ったと言いますから、「ITの権化」みたいな感じかな…そのせいか、国内では長く認められませんでしたが、海外では圧倒的な評価を得ていたようです…そりゃそうですよね…18カ国語ですよ…人間じゃありませんよね…因みに夏目漱石ともお友達であったような…で、彼の主たる研究対象であった「菌類」は多湿の和歌山の自然が生んだ必然でもあったのでしょうね…
…南方熊楠については、当時、民俗学の学閥系権威であった「柳田圀男(遠野物語でおなじみ)上の写真、1870年代生まれ、私と同じ兵庫県生まれ」もさすがに認めざるを得なくなり、当初は在野の彼を貶しておりましたが、後年は絶賛しておりますね…ともあれ、南方は賢すぎたが故に、理解されなかった時代が続きましたね…で、私め、この「柳田圀男」と「柳田邦生」を混同している時期がありまして、「柳田邦生」の書物はそこそこ読んでおりましたから、オカシイナ~、おかしいな~と、感じながら時代錯誤の船に乗って「ゆらゆら」と揺れておりました…そのせいか、今では頭と足が「ふらふら」…
…ということで、なしてこの話になったかと言いますと、牧野富太郎をテーマに明日のブログ当番を乗り切ろうと考えておりましたら、ナナナ、ナンと…今日(12日)の静岡新聞のコラム(大自在)に執り上げられているではありませんか…このコラムでは、牧野富太郎が、伊東市の小室山を「半分に割いて調べたい」と言っていたとのこと…さすが研究者…考えることが破天荒…
…ということで、中途半端なブログはここで中断…ごめんチャイ(^^)/~~~