20231123 山さんブログ-その64
…さて、本日は何をテーマのブロガーになろうか?と考えてみますに、あれもこれもご紹介したいと考えるものの、余りにも長いブログは会社にも嫌われますし、数名ぐらいはおられるであろう知人・友人から飽きられるのも無念でありますから、簡単に済ませましょう…
…で、冒頭は、吾が愛犬が羽毛を占有する様子…まっ、それでも私が布団に入る気配を感じると自分(犬用)の布団に戻りますから、そこまでの自由は認めております…
…で、今回も自分以外の方々の生き方から多くを学ばせて戴いている幸せを自分だけのものに埋まらせてしまうのは勿体ないので、愛読している月刊誌「致知12月号」から、私の涙腺を何度も崩壊させた…「ペンギン村水泳教室代表」の伊藤祐子さんの生き様です…
…「私が障がいのある子を産んだばっかりに…」とする書き出しで始まり、タイトルは「水の中で輝く命」です…
…(ここより本人)…静岡県浜松市のスイミングスクールに勤めていた私が自分で水泳教室を開いた原点は、あるお母さんの涙でした…
…約30年前の当時、脳性麻痺の男の子が勤め先にやってきました…体験をしてもらい安全確保ができると判断し、私は入会許可を出しました…ところが、男の子の障がい情報が上司に伝わると、入会を断るよう命じられたのです…
…責任を感じて行政や近隣のスクールに掛け合うも、結果は同じ。障がいのある子は冷たい奇異の目で見られ、公園にもおちおち連れて行けない時代でした…彼のお母さんは涙を浮かべて自分を責めていました…
…この世に障がいのある子を産みたいと願う親はいません…
…それでも、障がいを抱えて生まれてくる「命」はあります…なぜ、それを受け止める社会になっていないのだろうと悲しくなりました…
…休暇を使って市民プールで彼を指導し始めると、すぐ動きを憶え、笑顔が輝き始めました…口伝えで活動を知った親御さんからの希望が相次ぎました…「誰もやらないなら私がやろう」と独立し、障がいがある子のための「ペンギン村水泳教室」を開いたのが1992年、30歳の時でした…
…あれから30年…生徒募集は一切やっていないにも拘わらず、脳性麻痺児をはじめ、目や耳の不自由な子、発達障がいや進行性の難病と、いろいろな事情を抱えた子供たち千人以上と巡り合わせてもらい、積極的に受入れてきました…
…ただし当初は悩みもありました…市民プールで活動しているがゆえに、一般の利用者から「気持ちが悪い」「うちの子がおたくの生徒から嫌な思いをさせられた」と、謝罪を求められることもしばしば…
…「障がい者を集めて金を取る団体」と揶揄されることもありました…子供の笑顔のために突っ走ってきたものの、このまま続けるべきか迷いが生じていたのです…そんな私の「未来への志」を決定づけたのは、開校半年で訪れた、先天性の四肢欠損のある「鈴木孝幸」君との出会いです…
…鈴木君の右腕は肘から先がなく、左手は指が3本だけ…右足は根本付近から、左足は膝から下がありません…様々な子を見てきた私も、水着1枚で多くの視線に晒(さら)されるであろうその子の気持ちを考え、受け入れを戸惑いました…
…案の定、プールに出ると他の子たちの注目が一気に集まり、「何で手がないの?」と恐れていた言葉が飛び出しました…「守ってあげなくては」…そう思った瞬間、「あるじゃん!これが僕の手だよ!」と、瞬時に、肘までしかない右手を差し出して応えたのです…
…胸に大きな衝撃が走りました…(余談ですが、ここで山さんは滂沱(ぼうだ)しました)…この子は6歳にして既に自分のありのままを受け入れ、これが自分であると主張すらできる…私は何を勘違いしていたのだろう…(余談その2、ここでも涙腺崩壊…)…
…障がいがあろうと無かろうと、全ての「命」に輝きがあると認め会える社会をつくりたい。一人ひとりの可能性を引き出せる指導者でありたい…そう心に誓いました…
…後の2004年、アテネパラリンピック大会から、東京2020年パラリンピック大会まで、彼が「金」をはじめメダルを幾つも獲るなんて、当時は夢にも思いませんでした…孝幸君に限らず、私は大切なことをすべて出会った子供たちに教わりました…
…泳ぎ方の指導も、私が教わることから始まります…たとえ身体が不自由で泳ぐのが難しいと思える子でも、生活を送るうえで身につけている動き方があります…水中で鬼ごっこや物を拾う遊びをするとそれが本能的に現われる瞬間があり、そこを活かしてあげれば必ず泳げるようになる…
…これまで関わってきた皆がそう教えてくれました…
…そして、子供たちの可能性を引き出すために一番大切なのが、”プラスの言葉がけ”です…相談に来る親御さんは大抵「この子はこれが出来なくて、ここがダメで」と説明されます…それを聞いている子供は「自分はダメなんだ」と思い込み、出来ることすら挑戦しなくなっていきます…
…ペンギン村では二つのことを徹底してきました…常に肯定言葉で子供に接し、必ずお土産を持たせて帰すことです…お土産とは、「できた!」「これが出来るようになった!」の自己肯定に繋がる実感です…
…例えば、水に浸かるのを怖がっている子が足を滑らせてドボンと潜ってしまい、ワッと泣きそうになった瞬間、すかさず、「凄い、いま潜れたネ!そこまでできるんだ!」と、一歩先回りして褒めるのです…すると、「できた、やれた」という達成感が生まれ、日常の様々なことにも挑戦するようになります…
…「できた」の積み重ねが子の成長を促し、親御さんを笑顔にし、幸せの連鎖を生んでいく…冒頭に紹介した彼とお母さんの家庭もこうして笑顔を取り戻されました…
…大人の都合で子供の「やりたい!」という気持ちを潰してはいけない…これは私の信念の一つです…これまで、せっかく泳ぎを覚えても、学校の水泳の授業で、先生から見学を命じられ、気持ちを潰される例が多くありました…そのたびに私は生徒の授業に出席して、彼らも「共にできる」ことを証明してきたものです…
…ペンギン村に年齢制限はありません…通いたければ何年でも通い続けられます…365日、ほとんどの日々を、水中で子供たちと過ごす私ですが、いつまでもチャレンジャーとして、水中という素晴らしい世界から幸せの連鎖を生み続けていきたいと願っています…
…以上、今回の「致知」からは、是非紹介したい記事が満載ですが、冒頭の理由により、ここまでにしましょう…人間学というジャンルを徹底解剖する「致知」から学ぶことは山のようにあります…読書はそれなりに取り組んで参りましたが、本年に出会った月刊誌「致知」は私の生涯での誉れとも感じる今宵です…
…追伸…愚者は経験に学び、賢者は歴史から学ぶ…と言われる愚者たる自らの経験は本当に小さな小さな経験です…とは言え、経験は「人の数」だけあります…それは人々の歴史でもありますから、壮大な時代の歴史を紐解くまでもなく、中には100歳を超える方の体験記を綴る「致知」の記事は登壇者の歴史そのものです…
…おかげで、他にも何冊もの良本が脇を固めているものの、彼らの出番が少なくなっています…その昔、GHQによって発刊禁止、あるいは市場から回収された書物の中には日本人の根っこを気づかせてくれるような書籍にも出会うことがあります…先人達の叡智溢れる言葉が波状的にうねります…
…人は、書物は、本当に素晴らしい資産だと痛感する日々です…