20240212 山さんブログーその72
…今日は愛娘(まなむすめ)…ではなく、愛孫、祐奈の誕生日(9歳)です…若いころから私には孫は望めないだろう思っておりましたから、9年前の今日…初孫の出生にはまっこと嬉しい思いを”抱いた”ことを昨日のように思い出します…”抱いた”のは”思い”だけではありませんで、その温かい肉体も抱きかかえたわけでありますが、体重2790グラム、体長50センチと軽く、小さく、その折は、「えっ、大丈夫かや”(-“”-)”」と、未だ名もなきその子の将来を案じたものでした…それが今となっては、下の写真…まっこと、子供は”私が”ほっておいても勝手に大きくなるものです…
…そして同時に考えるとことといえば、世界の随所で生じ、継続する飢饉や薬害、戦争等(2月11日にもガザ地区で44名の子どもが死亡しました)だけに留まらず、天災地変等によって失われてゆく”小さな命たち”です…もとより失われてゆくのは子供たちだけではありません…生きとし生きるもののすべての”命”を奪ってゆく戦争や紛争には、唯々、胸が痛みます…その子供の生活を彩る自然や、その自然と一体となっていた植物や小動物はもとより、亡くなる当人の未来を一瞬にして焼失させ、その家族を極限の悲しみと漆黒の絶望の淵へと追いやります…ほんとうに、人間の歴史は”殺戮の連続”でありますね…
…一方で、戦争が他人事となっている間が”平和”かと言うと、そうでもなさそうです…歴史的に見ると、それは、戦争と戦争の”間”と言うだけのことで、そこに流れる時間を”平和”というには語弊がありそうです…なぜならば、”戦争”というのは、ある国家間同士の立場や主張が折り合わず、最終的な解決策としての選択肢に過ぎず、国家間同士とまでも言えなくとも、内乱や内戦、初歩的な争いとしては、お隣同士、友人同士でさえ、ときに争いとなります…ようは、避けられないものとして覚悟しなければなりません…この場合、その足元にある平和は”まやかし”のようなものです…もとより、戦争反対…の掛け声だけで”平和”が維持できるというような甘いものでもありません…
…この人間同士の争いを回避する手立ては無いものでしょうか…結論から言えば”戦争はなくならない”と言えそうです…少し飛躍しますが、一神教の世界観、倫理観に支配される思想からは、なかなかに解決策はまとまらないように思われます…何故なら、一神教世界では、異なる神の、あるいは異なる思考のどちらかが正しい…と、導き出さずにおられない傾向があることを否めないことによります…
…正か邪か、善か悪か、白か黒か、賛成か反対か…等、西洋思想の根幹が原因のひとつかとも考えます…
…翻って、日本を含めた幾つかの国では、「森羅万象に魂が宿る」という根本思想が内在するために、異なる宗教・異なる意見を吸収しやすい素地が宿っており、そのDNAは、連綿とした流れに乗り、今日に至ります…逆説的ですが、そのような”何でも受け入れ”素地があったことで、ほとんどの日本人が、戦後の西洋思想”だけが善”であるかの如く教える教育に見事に染まってしまいました…現在でも継続するこの教育方針は、日本古来の大和文化や歴史を排他的に捉える骨格に大きな変更はありません…
…そもそも、先進的な文化圏の歴史教育においては、小中学校(同等のシステム下)で、自国の歴史をしっかりと教え込みます…ところが、世界のどの国よりも長い統治歴史(約2600年もの長きにわたり)がある日本の歴史教育における教科書は、他の国の3分の1のページ数程度しかないのが実情です…
…歴史教育において大切なのは、良いことは良い、悪いことは悪い、という是々非々論の展開を啓(ひら)き、子供たち一人一人に自立した思考判断を促す教育方針ではないかと思えるのです…日本の建国以来、約2600年もの国の成り立ちの殆どを否定したような教育では、日本人たると言うにとどまらず、人間としてのアイデンティティーさえも定まることがなく、ぐらついたまま成長することになりかねません…自分自身を内観していると、つくづくそのように感じます…
…昔日、教育の機会を得た者であれば、十四五歳の少年少女は既に自立した思考を持ち合わせていたという、江戸時代、明治時代、大正時代、昭和初期の子供たちと、戦後の子供たちとの違いは何処で決したのかと言うと、まさしく、戦前・戦後がそのまま分水嶺になります…そこで言われるのが、大東亜戦争(第2次世界大戦)です…
…では、なぜ、日本は、資源もなく、国力も未だ十分とは言えない状態で複数国家からなる連合国に戦争を仕掛けた(もちろん止む無くという意見も沢山あります)のでしょうか…いや、そもそも、戦争とは何なのでしょうか…そんなことに思いを巡らせている時間が多い私が、つい先日(2月9日)手にした書籍が、まさにその点にターゲットを絞った本でした…
…”(-“”-)”余談ですが…その日…アマゾンでランダムに注文していた書籍が同日に7冊届いたことから、妻はカンカン…どこに置くのよ~( ;∀;)だと…で、私は独り言…「フザケルナ…置くのではなく、読むのだ…(^^♪」と心で反論(–;)…
…で、その中には、待ちに待った「人類を裏切った男」の下巻も含まれておりました…もっとも、「中巻」がまだ途中下車したまま…ではありますが、先ずは、小室直樹の「国民のための戦争と平和」(2018年2月3日、第1版発行)を、今更ながらと手に取り、目をしばたかせている次第…
…そもそも、この「小室直樹」とは何者ぞ…ということもありましょうから、さらりと紹介します…彼は「過激な天才」と謳(うた)われることが多かった社会学者で、同時に評論家、社会・政治・国際問題のエキスパートでもありました…1932年生まれ、2010年に他界しています…惜しまれる人は早逝するとはいえ、平均的な寿命であったようです…
…で、彼の代表作のひとつと言われる書籍が、「危機の構造 日本社会崩壊」というもので、約40年前に上梓されたものです…それが、今、社会学の先鋭といわれる「宮台真司」や、理論社会学、宗教社会学、現代社会論等を専門に論陣を張る重鎮「橋爪大三郎」等が、”今こそ読め”…と勧めるのが、「小室直樹」が、約40年も前に著(あらわ)した「危機の構造 日本社会崩壊」という書籍です…
…そこでは、先進国唯一の経済停滞やコロナ禍の無策(しかし、お金は300兆円近く拠出している)や、統一教会と政治との癒着、最近ではパーティー券でのみっともないばかりのお金に関する無節操な政治家の所業を含め、国際政治の場で、力もなく信用もされない日本が、なぜこのようなことになったのかの原因が、当該書籍「危機の構造 日本社会崩壊」の中で述べられている…と言うのです…
…で、現在の天才社会学者たちからそのように評価される小室直樹の別本、「国民のための戦争と平和」に何が書かれているか…との探究心にかられ、老眼を駆使して読み込んでみると…「平和主義者が戦争を起こす」…という帰結に止まらず、「正義は空箱にすぎない」と断罪したり…普通に読み始めると…”(-“”-)”んっ、なんじゃ~( ;∀;)…と、目がくりくりとしたリアクションに繋がるのです…
…で、この書籍の小見出しを紹介しますと…前書きでは…
①平和とデモクラシーとどちらを選ぶか…
②戦争は高度な文明の所産である…
③戦争は制度である…
…等という捉え方で、戦争そのものは、国家間の問題を最終手段として決着させるものであるから、戦争そのもは悪いことではないのだ…悪いのは人殺しだ…と指弾します…
…で、本編の第1章「平和主義者が戦争を起こす」の小見出しで、目につくところだけ紹介しましょう…
①みんなが平和を愛した結果が第2次世界大戦となった
②台風の上陸を法律で禁じようとする平和主義者
③平和への賛歌を逆手に取ったヒットラー
④戦争の決意ができずに崩壊したフランス …等々…
…ここで、彼は、平和主義者が戦争を起こすと言い、国家を滅ぼす…と警告し、傍観することの罪悪を説きます…ひとつの結論としては、平和はお題目を唱えているだけで達するものではない…平和を構築し、維持するためには努力と忍耐と行動が欠かせない…そのために備えよ、と言うのです…また、戦争を決断できる者が戦争を回避させる…とも言います…それで、私も納得した(-_-)ことがありました…
…1962年、ソ連がキューバにミサイル基地の建設を始めたため、ケネディーがその撤去を要求し、その要求を聞き入れないソ連に対し、艦艇183隻、軍用機1190機を動員(この辺りは調べましたから信用してくださいませよ(^^♪)してキューバを海上封鎖したため、ソ連のフルシチョフもミサイル基地建設を断念せざるを得なかったというものです…
…このとき、日本に核爆弾が落とされて以来、二度目の核使用が回避された瞬間でした…
…第1次世界大戦後に戦争を決断できなかったため、結果的にナチスドイツの侵略に抗うための第2次世界大戦を招来させてしまった当時のフランスとは対照的な結果が生まれたということです…
…この後、当時のイギリス首相、チャーチルは、私たちがもっと早くに戦争をする意思をドイツに示していれば、第2次世界大戦は防げた…その意味で、第2次世界大戦は不必要な戦争であった…と述懐しています…どれほどの軍人、市民が犠牲になったかを思うと、人類ほど「アホ」な生物はいない…ですよね…
…結果として、キューバ危機では、ケネディーの決断が戦争を回避させたということであり、そのケネディーの決断を担保したのは、アメリカには戦争に備える為の十分な備えがあったということです…備えあれば憂いなし…の大型版です…
…次に、未だ読んでおりませんが、第2章は、「戦争を否定すると近代文明が崩壊する」…というもので…ここでも幾つかの小タイトルを拾ってみますと…
①戦争がないのが平和というのは間違い
②戦争とは、つける薬がないものにつける薬である
③侵略戦争にも歴史の必然(戦争を始めるよりほかない理由)がある
④日本の非武装中立は白昼夢である
⑤戦争は消極的な意味で万能薬である
⑥第二次世界大戦で「猛毒」を除いて成長した日本
⑦建前と実態があまりにもかけ離れると、その国は崩壊する…等々
…いずれも、ドキリとするタイトルが並びます…
…そして第3章は、「国連の幻想と国境の思想」…というものです、個人的には、この章が一番、私の興味をそそります…で、ここでも、幾つかの小見出しを抽出します…
①「自衛」の名目さえつければ、何でも自由な国連憲章
※私は国連憲章は茶番だと思っています( ゚Д゚)から、大いに賛同する次第…続いて…
②変化すべきものを変化させまいとする矛盾
③多数決制度の致命的欠陥
④全会一致制で衰退したポーランド
⑤「憲法上それはできない(日本のそれ)」という弁解は成立しない
⑥国家権力は「解毒剤」である
⑦単一民族国家の日本は「国家」をよく理解できない
⑧国際法はまだ低開発段階にある
⑨真の平和主義とはなにか…
…以上、かいつまんでおりますが、この小タイトルが導き出した結論の一端は、真の平和を願う者の為すべきことは何か?…と、問い…
その「1」として…戦争の文明史的本質を洞察することであり、ポイントは二つだとジャッジしています…すなわち…
…①戦争とは国際紛争解決の手段である…
…②戦争以上に合理的で実効的な紛争解決の手段を創造しない限り、戦争はなくならない…というものです…
…以下、その「2」では…残念ながら、上記の②ような解決手段は、今のところその「萌芽」すら見当たらない…というもので…
…その「3」では、その(上記の②)ような新たなメカニズムが、そのうち現れるかもしれない…という希望的観測と切望を垣間見せております…
…最後のその「4」では、人類が戦争を回避できるだけの解決策や知恵を持たないのであれば、せめて戦争に備えなければならない…というものです…なぜなら、現在の人類が備える「知的レベル」では戦争を回避できるまでの「英知」を持ち合わせていないから…という現実思考で締めくくっています…
…で、私は、ここでも日本古来の思想…「森羅万象に神が宿る」とする普遍的な教育による、その取り掛かりこそ、戦争回避を限りなく現実化させる「萌芽」となり得るのではないかと考え、一縷の望みの延長線上に一灯を観るのです…なぜなら、「森羅万象に神が宿る」という思考・思想は、生きとし生きるもの全てに対する「感謝と愛」が根本にあり、その「感謝」は、自然に包含される無機物であれ、有機物であれ、異種間同士の関係性を是認し、その「愛」は何人の存在も主張も理解し、受け入れるというダイナミズムが宿るように思われるからです…それが日本古来からある、感謝と平等思想だと思います…
…この平等思想は、ヨーロッパで民衆が貴族から勝ち取った「血」を犠牲にした生臭いものではなく、自然発生的に育ったとしか考えられない先鋭的思想でもありました…その思想は、聖徳太子の17条憲法で文字化されたように、世界中でいち早く逢着し、到達した平等思想です…しかもその平等性は人間社会だけに止まらないところが素晴らしいと思うのです…そのような誇らしい、約2600年に及ぶ文明的歴史に、教育界は何故消しゴムを使うのでしょう…勿体ないですね…(-_-;)(-_-;)(-_-;)
…と、以上はひとつの視点からの見方です…もとより物事には表もあれば裏もあります…西洋思想の正邪・善悪や白黒で割り切る見方もありますが、日本的な見方は、その中間もあるよとする柔軟性に特徴がありますから、その強みを活かしたいものです…
…と、乗っかっているだけの頭と汚れた心が感じるままの本日ブログはこれにて完結…(^^)/~~~