20240224 山さんブログ-その73
…今日、2月24日が何の日かを久しぶりに調べてみましたら…筆頭はナント言っても…
…「月光仮面」がテレビ初放映になった日だとか…頃は…私が9歳の真面目で無垢な小学生時代のこと…1958年の今日…当時の平均視聴率は40%であったとか…正義の使者(-.-)…月からの使者<(_ _)>…人は正しい行いをしなければならない…と教えてくれた、私たちのヒーロー、…その真似をしようとして、多くの家庭から風呂敷がなくなりましたね…
…いや、まっこと、昔はエガッタ(^o^)…ナンと言っても、殆どの子供が、正義こそが正義であることに憧れをもって成長しましたものね…
…ここでいきなり話が大きく旋回しますが…同じように正義を振りかざしても、国家レベルの正義が主張される場合の正義では、行き着くところ戦争です…ロシアの正義…ウクライナの正義…イスラエルの正義…ハマスの正義…イラン・イラク等の宗教的イデオロギーが炸裂する正義…特に中東圏国家でのこの正義は人種間問題だけで無く、宗教が絡むため、その正義の名の下、神の名のもと、何でもありのような様相を来す場合が少なくありませんね(-_-)…
…しかし現在の私たち多くの日本人は、そのような人間の本性に起因する殺戮行為とは無縁であるかのように緊張感の無い生活を享受しています…北朝鮮の暴走なぞあり得ないと考えているのでしょうか…チャイナが尖閣諸島にチョッカイを出していても、本気で沖縄を取りにに来ることも、台湾に軍事侵攻することも…ましてロシアが日本に魔の手を広げることなぞあり得ないとでも高を括っているのでしょうか…
…それでなくとも国際政治は弱肉強食の最たるものと言える事実が私たちの周囲を埋め尽くしています…ウクライナにしても、核を放棄すれば領土の存続を保証しますよと言われた、1994年の「ブダペスト覚書」を信用し、当時、世界第3位の核保有数であった強国が、核武装を解除したことで、ロシアによる軍事侵攻を許してしまったという、当時の読みの甘さが現時の国民の命を軽くしてしまいました…
…以前にも同じフレーズを使いましたが、「男は強くなければ愛する人を守れない」という格言は、家族というコミュニティを最小単位にしながら、国家の存立にそのまま当てはまる事実をいとも簡単に確信できる時代にありながら、私たちは何故こうまで無神経に、戦争の無い時代が永続するような感覚に支配されているのでしょうか…
…強い国家とは、戦争をしないために「万全の準備」をしている国のことです…どの国よりも準備を万全にする…それが戦争をしないための最善手であり、近隣の暴力的国家からしても、そのような強い国家へ戦争を仕掛ける国はありません…
…我が国は「憲法上」の縛りを待つまでもなく、戦争を仕掛ける側の「意思」を持つ者は、国民は言うまでも無く政治家にもほぼ皆無と言える否戦宣言国家と言えます…
…しかし、戦争をしないために戦力を保持しないという考え方と、戦争を仕掛ける意図はまったくありませんよ…という主張とは大きな隔たりがあります…
…いつ暴発するかもしれない周辺国家の謀略振りを見ながら、何もしないことの無責任さにより、いつの日か国民を奈落の底に貶める可能性が大きいことの可能性と、備えることで担保される安全性について、私たちは何故その為の比較検討と分析をしてみようと考えないのでしょうか…
…戦備の備えが薄く、国家が弱ければ、いずれ他の暴力的国家の餌食になることは簡単に想定できます…現在の日本は、日米安保条約によって、かろうじてアメリカの核の傘による保護下にあるとしても、今回のウクライナの窮状を見て分かるよう、「ブダペスト」覚書によって約束されていたウクライナへの支援も、小手先の武器を供与するだけで、アメリカなどはその小手先の武器でさえ、議会の反対で頓挫する有様です…EUも不協和音が反響して支援に対する手立てが纏まりません…その点、イギリスは紳士の国…約束を守るための努力が顕著です…
…もとより、この「ブダペスト」覚書では、米国、イギリス、ウクライナだけでなく、当のロシアでさえ、ウクライナが核を放棄すれば、ウクライナを攻めることはありませんよと約束していながらです…「ブダペスト」覚書締結その時点で、世界第三位の核保有国であったウクライナがロシアにいつでも攻めて来て下さいと宣言したのと同じ状況を作り出してしまいました…
…そして案の定、ロシアはいともたやすくウクライナに侵攻したという事実からも分かるように、国家間の条約や覚書なぞ、自国の都合で相手国に対する義務なぞ簡単に放棄するのが国際政治の常識です…
…古い事実では「日ソ不可侵条約」を信じていた先の第2次世界大戦末期、満州を手始めに日本はソ連により中国北東部から追いやられ、戦後には北方4島までの侵略を正当化されてしまいました…もちろん日本人全員はロシアによる北方四島占領の正当性を認めているわけではありません…日本政府が「断じて受け入れることは出来ない」という「オーム用語」を何千回公表しようと、日本人が認めようと認めまいと、今後、北方四島が日本に戻ることなぞあり得ませんね…戻ることを本気で考える日本人がいるとすれば余程おめでたい人と言わざるを得ません…
…もとより国際法上も北方四島が日本の領土であることは言うまでも無いことです…ただ、その領土が日本に戻されることが無いことも厳然たる事実です…昨今では北方四島を生れ故郷とするロシア人が大勢います…軍事施設もしっかりと整っています…ロシア自国だけでなく、中国や北朝鮮、その他の幾つかの外国からの観光客も受けれています…
…そもそも、1945年2月のヤルタ会談では、日ソ不可侵条約を締結していたソ連が満州に攻め入ることと、日本の敗戦後にソ連が北方四島を占有することが合意されています…ですから、アメリカもこの件に関しては、日ソ当事国の話し合いで決着するようにと身を引いているのです…
…この事実により、戦後80年になんなんとする北方四島を日本が取り返すには、「ロシアと戦争をして勝つしかない」という荒唐無稽の発言をするしかありません…これはこれで、私たちの日本と日本人にはあり得ないナンセンスな例え話です…
…つい先日も、ロシアのメドベージェフが、「北方領土に対する日本国民の思いなぞ知った事では無い」と言い放ち、北方四島はロシア領土であり、今後も北方領土への軍事要塞化を推進する予定が弱まる可能性が無い思いをぶちまけていましたね…
…そんな「国際紛争を解決するための最終手段は、戦争しか無い」という名言を残したのが、17世紀の中頃、スペイン王の臣下であった、「リシュリーという枢機卿」が残した言葉で…「戦争とは付ける薬がない者に付ける最後の薬である」という詩的な提言をスペイン王に答えた言葉から変化したものだと言われているように…国家間で生じた問題を解決出来ない場合は戦争もやむを得ない…と、中世以降の律令制成立後は当然のこととして認められているのです…
…余談ですが、このリシュリー卿は、テレビの三銃士で、悪役として扱われていましたね…んっ(-_-)…ここで、この名前を思い出しましたね…アナタは一時期テレビ漬けで生活していた過去がありそうです…と、得意な脱線から戻ります…
…日本人が大好きな国際連合の規約においても、「戦争は合法的なもの」とされています…であるからこそ、戦時に特化した国際法も存在するわけです…戦争のルールですよ…ルールがあると言うことは、プレイヤーがいると言うことです…
…私たち日本人がどれほど戦争を忌み嫌ったとしても…例えば中国が…「日本が尖閣諸島を返さないから戦争に訴える」と言いだしても、国際社会は反論はしても介入しないのです…ただ、アメリカは立場上そのように振る舞えませんね…しかし中国は国際社会が尖閣諸島の中国領帰属を認めるよう、粛々とその事実認定蓄積に向けて前へ進んでいるのです…なんせ大きな目的達成には、100年かける計画を簡単に立案し、100年間その努力を惜しまない勤勉さがあるのです…勤勉さは日本人の特許ではないのです…
…さて、中国が実力行使したそのおり、如何に日米安保条約の庇護下にある尖閣諸島問題であるとしても…アメリカは、誰も住んでもいない尖閣諸島防衛のため、あるいは奪還のために本気で尖閣諸島を守るでしょうか…疑わざるを得ない背景と、身から出たさびともいえる構図がありますよね…
…アメリカが他国から攻められたとしても、日本は応援に行きませんよと言っている状況では、アメリカが日本を守るための武力介入は、アメリカ自身にとっての危険性排除の理由がある場合だけ…と考えるのが普通の感覚とも言えます…、一応、日本を守る降りだけはしておきましょう…と…私にはそれが日米安保条約の本質のようにも思われます…
…では、国家はナンのために条約を締結するのか…それは…当面「差し当たっては条約で交わした約束は守りますが、状況が変わればいつでも破棄しますよ」…と言っているようなものです…事実、過去の条約が破綻した例なぞ、それこそ山のようにあります…
…それゆえ、私たち国民の一人ひとりが、愛する子や妻・夫、兄弟、隣人、果ては同胞である国民を守るために何が欠かせないかを考え、熟慮のうえ導き出された手段の確立に向けて国民的な努力を払わなければならないと痛感するのです…
…歴史を遡ると、自国の安全を他国に依存した国家が例外なく滅びていったことは前回のブログでもご紹介したとおり、私たちに一番掛けていて避けて通れないのが「国家と国民の自立」です…他国の信任を得て、自信に満ちた国民性を回復し、他国国民の模範となって世界の平和に貢献するためにも、「日本と日本人の自立」は喫緊の課題であると思えてなりません…
…前回、72回目のブログで紹介しましたとおり、2月9日、同時に7冊の本が届いてしまい嫁の顰蹙を買ったものの、その1冊、小室直樹が今から40年前にに上梓した「国民のための戦争と平和」の完読を経て、その後、今日までの1週間、川田稔による「石原莞爾の世界戦略構想」や石川泰志(やすし)の「戦略論体系⑨佐藤鐵(てつ)太郎」を読み込むにつけ、かの時代(戦前~戦後)の天才たちの時代分析や未来展望というか、予測が完全にとまでは言えないにしろ、現在の日本が置かれた状況が見事にまで言い当てられていることに驚愕するばかりの内容で、改めて「戦争と平和」について考えさせられたことでした…
…因みに、「石原莞爾」は、満州事変をきっかけに、半年で満州国を立ち上げたという天才軍略家と言われており、満州国は1932年~1945年、日本の敗戦まで日本の直轄領のようなものでしたね…で、彼、石原莞爾は、万里の長城から南…中国本土への侵攻にには大反対した人でした…戦後の東京裁判では、満州国を立ち上げた自分を何故、被告にしないのだ…と主張しましたが、石原が当初からアメリカとの海戦に否定的であったことから、被告とすべき理由が成立しなかったようです…
…一方の佐藤鐵太郎は、日露戦争の日本海海戦でロシア艦隊の進路となる、ロシアの偽装転進を見破り、結果、これが日本の勝利に繋がったという戦術的立役者です…しかし、彼の名は歴史には殆ど顔を出しませんね…彼は当初から、日本が海洋国家であることを理由に、中国大陸への進出は国家を滅ぼすとして、終始、反対していました…日本は、イギリスに倣って「海」にこそ活路を見いだすべき…との見解によります…
…因みに、二人とも平和論者です…しかし、戦争まっただ中の当時は、その平和論に蓋をせざるを得ない背景が二人の天才を戦禍に貶めたということでしょうか…<(_ _)>
…石原にまつわるエピソードにひとつに、東条英機から「あいつはアカだ」と罵られた事があるぐらい、彼の活躍とは裏腹な平和志向が強かったということかもしれません…戦後は農耕に邁進します…
…中学生の頃、課題読みとなった、トルストイの「戦争と平和」が難しくて完読できなかったことを思い出しつつ、流石にこの歳ともなると、どのような方角から問いかけられても理解できるようになった「戦争と平和」問題…いや、理解できずとも考えられるようなった年齢に達してみると、行動に起こすというパワーが大きく欠落することに地団駄踏む思いです…まっこと、思うようには参りませんね…
…と同時に、ブログ冒頭の「月光仮面」の正義に戻り考えさせられるのは、鉄は熱いうちに打ての格言通り、若い命が弾ける小中高生時代に、正義や、戦争と平和について考えさせる為の教育システム構築の重要性です…マイケル・サンデルの…これからの「正義」の話をしよう…を、大学生相手に問いかける事にも意味はありますが、やはり、成長期の子供たちが…「今だけ金だけ自分だけ」という卑俗な世界観を身につけないうちに、子供たち全員を月光仮面に育てる教育が待ち望まれます…
…ということで、今回はこの辺りにしましょう…月刊誌「到知」の今月号記事も素晴らし内容で、全ページをご紹介したい思いですが、私の時間にも限りがありますので…というかここまで一気の書き込みで、疲れた~(>_<)…yoshimiさん手伝って~<(_ _)> …んっ(–;) そりゃ誰だ???