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20240720 山さんブログ-その87

…笑え笑え…笑う顔には福が付く…(諺、新バージョン)

…またまたコロナが猛威を振るい始めました…昨日19日の航空会社のシステムダウンがコロナのせいにしたくなるようなタイミングですが、酷暑のせいでしょうかねえ<(_ _)>とは言うものの、暑い理由は外国人観光客が過去最大になったせいかもしれません…なんせ、密度が…

…等と訳の分からぬ事を言っているのは、さて、今回のブログは何をテーマにしようか…と、考えながらキータッチを進めておりまして…しかし頭の中は故郷、兵庫県赤穂市から一回り以上離れた友人夫婦が来ることにわくわくしています…

…本日、早朝の5時に赤穂を出発して我が家への到着予定が正午頃…600キロの道中の休憩を2回だけ予定しているとのこと…いやはや恐ろしい…私なら途中6回は休憩しないと持ちません…若いというのはイイモンです…とはいえ友人夫婦も60歳…

…ふむ(-_-;)…60歳か…と、自らの60歳時を思い出してみると、早朝4時から7時まで船に乗り、マリーナでシャワーを浴びて背広に着替え、颯爽と出社していたことを思い出しました…その60歳の誕生日に当時の社員が私にプレゼントしてくれた色紙が冒頭の写真です…懐かしく、笑ってしまう確かな過去…みんなミンナありがとう…

…で、故郷の友人のお迎えは、お気に入りのイタリア料理店…清水町の「ロアジ」です…

…友人夫婦との顛末は次回に譲るとして…

…愛読書の月刊誌「致知」の連載「二宮尊徳(金次郎)」を読むほどに深まる「二宮尊徳」への畏敬の念が重なり、大枚をはたいて購入した三部作がありまして、当面は私のバイブルになりそうに思えます…で、なして写真が横になっているかと申しますと、寝ながら読もうと考えているからです…

…いや、ほんと、凄い人です…その偉大な業績の一つに、600を数える村の財政を立て直したと言いますから、つい先日から流通し始めた10000円札の顔…渋沢栄一も真っ青でしょうね…ということで、本日は早仕舞い…と、言いたいのですが、「致知」8月号で、「千年の名言」というコーナーに「五木寛之」さんが「宮沢賢治」を取り上げています…

…短い文章ですから載せましょう…

   雨ニモマケズ
   風ニモマケズ

…あまりにも有名な宮沢賢治の詩の一節である。この国の国民で、この言葉を知らない人はいないのではあるまいか。

…しかし、この言葉は、生前、作品として発表されたものではなかった。

…彼の死後、残されたトランクのふたのうしろについているポケットから発見された小型の手帖の中に、鉛筆書きで記された言葉である。

…読みやすい大きな文字で、1ページに5行ぐらいずつ書かれた詩が、のちに宮沢賢治の代名詞のように広く知られるようになったのだ。

…その筆蹟からみると、この詩はすいこうに推敲を重ねて書かれたものではない。思いがあふれるなかで、一気呵成かせいにメモされた言葉のように思われる。

…ところどころ鉛筆で斜線が引かれて、言葉を書き直した部分もあるが、少くとも机に向かって沈思黙考のなかから生まれた詩ではないだろう。

…どこかで、あるとき、ふと心に突風のように訪れてきた思い、それを大急ぎで手帖に書き残した、そんな感じのフレーズだ。

   西ニツカレタ母アレバ
   行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
   南ニ死ニサウナ人アレバ
   行ッテコハガラナクテモイゝトイヒ
   北ニケンクヮヤソショウガアレバ
   ツマラナイカラヤメロトイヒ
   ヒデ(ド)リノトキハナミダヲナガシ
   サムサノナツハオロオロアルキ
   ミンナニデクノボートヨバレ
   ホメラレモセズ
   クニモサレズ
   サウイフモノニ
   ワタシハナリタイ

「妙好人」の影を見る宗教的人間像

…もし今、宮沢賢治が生きていたら、とふと思う。

…宮沢賢治は、晩年は法華経に帰依きえした。この手帖の中の言葉のあとにも、御題目がくり返し記されている。

…しかし宮沢家の宗旨は、真宗だった。賢治の父は、『歎異抄たんにしょう講話』で有名なあけがらすはやなどを招いて講話を催したりもする真宗人だった。

…暁烏 敏…1877年~1954年、愛称は「念仏総長」…高浜虚子の弟子でした…

…真宗のなかには「みょうこうにん」という独自の人格の伝統がある。鈴木大拙だいせつなども注目した独特のキャラクターだ。

…みずから進んで法華経に帰依した賢治の背後に、その「妙好人」の影を見るといったら、たぶん専門家たちから笑われることだろう。

…しかし、私は宮沢賢治の背景に、宗派を超えた大きな宗教的人間像を感じないではいられないのだ。

…宮沢賢治といえば、とかく浮世離れした牧歌的な人物のようなイメージがあるが、はたしてそうだろうか。

…彼の若い頃の行動を眺めてみると、現実世界にも深い関心を抱いていた側面がうかびあがってくる。

…彼は芸術とともに科学にも深い関心を抱いていた。政治に関してもそうである。

…いま、ウクライナやパレスチナの情況が世界の注目を集めているとき、賢治がもし生きていたらどんな言葉を発しただろうか、と、ふと思うことがある。

…宮沢賢治をメルヘンの司祭に閉じこめてしまってはいけない。

…いま、現在の私たちの世界にとって、彼の言葉は貴重である。

…さまざまな解説書や、難しい論文にとらわれずに、白紙で賢治の言葉をたどってみることが大事なのだ。

あらためて嚙みしめたい宮沢賢治の言葉

…私は以前、「百寺巡礼」という企画で、列島各地の寺々を巡ったことがあった。

…その折りに、偶然に田中智学ちがくの墓に出会ったことがある。国柱会こくちゅうかいのリーダーとしての田中智学に関するくわしい知識はなかったが、ああ、この人が若き日の宮沢賢治が大きな影響を受けた人物かと、頭をさげて合掌したことをおぼえている。昭和史の1ページに触れたような気がしたものだった。

…〈雨ニモマケズ〉の詩のなかで、あまり人々に記憶されていない言葉に、こういうフレーズがある。

 〈アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ
  ヨクミキキシワカリ  ソシテワスレズ
  野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナかやブキノ小屋ニヰテ〉

 〈一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ〉

…などといった言葉が強く印象に残るのだが、〈ヨクミキキシワカリ〉という部分も忘れてはいけない。

…宮沢賢治が憂えた時代に、私たちはいま直面している。世界全体の幸福を求めつづけた彼の言葉を、あらためてみしめる時なのだ。

作家 五木寛之(いつき・ひろゆき)

昭和7年福岡県生まれ。22年に朝鮮から引き揚げる。早稲田大学露文科中退後、PR誌編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、41年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、42年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞。以降、受賞歴多数。日本藝術院会員。

…と言うことで、これを機に…ジョバンニとカムパネルラが乗り込んだ「銀河鉄道の夜」を読み返してみるのも良いではないか…たまには子ども返り…とんぼ返りに宙返り…

…ナンタッテ、高速鉄道で「夜」を楽しむことは出来ませぬゆえ…おわり

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