20240808 山さんブログ-その89
…今回は「二宮尊徳」三部作の一冊と言われる「二宮翁夜話」の172話「湯ぶねの教訓」について、「致知のメルマガ」でも紹介されていましたので冒頭から取り組んでみましょう…下記の写真が以前に一度紹介した書籍です…
…それでは幕開けで~す…
…嘉永五年(1852年)の正月、翁(二宮尊徳)は著者:福住正兄の家(箱根町湯本)の温泉に数日入湯しておられた。
…著者の兄の大沢精一が、翁のおともをして入浴した際、翁は湯ぶねのふちに腰かけて、こう諭(さと)された。
――世の中では、そなたたちのような富者が、みんな足ることを知らずに、飽くまで利をむさぼり、不足を唱えている。
…それはちょうど、大人がこの湯ぶねの中に突っ立って、屈(かが)みもせずに、湯を肩にかけながら、「湯ぶねが浅すぎるぞ、湯がひざまでも来ないぞ」と、どなるようなものだ。
…もしも、望みにまかせて湯を増やせば、小さい子どもなどは深くて湯に入れなくなるだろう。
…だからこれは、湯ぶねが浅いのではなくて、自分が屈まないことが間違いなのだ。
…この間違いがわかって、本人が屈みさえすれば、湯はたちまち肩まで来て、自然と十分になるだろう…それ以上ほかに求める必要がどこにあろうか。
…世間の富者が不足を唱えるのは、これと何ら変りはない。
…およそ、分限(ここでは金銭上の節度)を守らなければ、千万石あってもなお不足だ。
…しかし、ひとたび分に過ぎた過ちを悟って分度を守れば、余財がおのずからできてきて、十二分に人を救えるはずだ。
…この湯ぶねが、大人は屈んで湯が肩につき、子どもは立って湯が肩につくのを「中庸」とするように、百石の者は五十石に屈んで五十石の余財を譲り、千石の者は五百石に屈んで五百石の余財を譲る。
…これを「中庸」というべきだ…
…もし町村のうちで一人この道を踏む者(実践する人)があれば、人々はみんな分を越えた過ちを悟るだろう。
…人々がみんなこの過ちを悟って、分度を守ってよく譲れば、その町村は富み栄えて平和になること疑いない。
…古語(大学)に「一家仁なれば一国仁に興る。」といっているのは、このことだ。
…「仁」というものは人道の極致であるが、儒学者の説明はやたらにむずかしいばかりで、役に立たない。
…身近なたとえを引けば、この湯ぶねの湯のようなものだ。
…これを手で自分の方へかき寄せれば、湯はこっちの方へ来るようだけれども、みんな向うの法へ流れ帰ってしまう。
…逆に、これを向うの方へ押してみれば、湯は向うの方へ行くようだけれども、やはりこっちの方へ流れて帰る。
…すこし押せば少し帰り、強く押せば強く帰る…これが天理なのだ…
…「仁」と言ったり「義」と言ったりするのは、向うへ押すときの名前であって、手前にかき寄せれば「不仁」になり「不義」になるのだから、気をつけねばならない。
…古語(顔淵篇(論語のプロローグみたいなものかな(*^_^*)))に、「己に克って礼に復れば、天下は仁に帰す。
…仁をなすは己(おのれ)による。なんぞ人によらんや…とあるが、「己」というのは手が自分の方へ向くときの名前だ。
…「礼」というのは自分の手を相手の方へ向けるときの名前だ。
…手を自分の方へ向けておいては、仁を説いても義の講釈をしても、何の役にも立たぬ。
…よく心得なければいけない…
…いったい、人のからだの組立を見るがよい。人間の手は、自分の方へ向いて、自分のために便利にもできているが、また向うの方へも向いて、向うへ押せるようにもできている。
…これこそが人道の元なのだ…
…鳥獣の手はこれと違って、ただ自分の方へ向いて(物を掴むときの手と指)、自分に便利なようにしかできていない。
…だからして、人と生れたからには、他人のために押す道がある。
…それを、わが身の方に手を向けて、自分のために取ることばかり一生懸命で、先の方に手を向けて他人のために押すことを忘れていたのでは、人であって人ではない。
…つまり鳥獣と同じことだ…
…なんと恥かしいことではないか…恥かしいばかりでなく、天理にたがうものだからやがては滅亡する。
…だから私は常々、奪うに益なく、譲るに益あり、譲るに益あり、奪うに益なし…
…これが天理なのだと教えている……どうか、よくよくかみしめて、味わってほしい…おわり。
…以上…(-.-)ナント含蓄のある教えでしょう…さすが、600予村の財政を立て直した「仁義礼節の塊」…
…翻って私は…(-_-;)… …言うまでも無く比較の対象になりませぬ…<(_ _)>
…(^^)/~~~(^^)/~~~(^^)/~~~
…で、ここからは俗人の小さな旅の物語…
…過日、日本で一番予約が取りにくいと言われる、山梨県の「ほったらかしキャンプ場」に行ってまいりました…いやはや、ほんに、マイリマシタ…暑いのなんのって(>_<)…
…往路、須走の道の駅に立ち寄りましたら、熊のプーさん?がハーレダビットソンに乗ってご主人様との記念写真に応じてくれました…ハーレとおじさん…ダイナミックな弟を思い出しながらパシャリ…
…それにしても、ひたすら暑かった…標高700㍍…下界との温度比較では、4度~5度低いはずが、遮るものが何も無い炎天下…しかも太陽熱を少しは吸収してくれそうな大気中の浮遊物(空気の汚れ)も感じられない綺麗な大気…(-_-;)…真夏のキャンプは歳寄りには酷でしたな…
…んで、現地到着後、余りの暑さに耐えきらず、車を「ほったらかしサイト②」に置いて、先ずは休憩・昼食の為、最上部「カフェ」へ徒歩で直行…炎天下の坂道はキツかった(>_<)
…昼食後も余りにも暑いので、愛犬はエアコンの効いた車中に残し、女性陣2名は受付前のバス喫茶で避暑休憩、私一人でタープ、テントの設営準備…しばらくして女性陣も設営に参加…そんな陣地が下の写真ですら…とはいえ、写真は夕方前で女性陣2名が「ほったらかし温泉」に出かけた時間でしたから空は曇天模様で酷暑感は減少…穏やかそうなサイトとなりました…
…フェンスは「犬」をホッタラカシ状態に出来る良さがあるものの、人間目線ではまるで「檻の中」…「檻の中」での夕食でしたが、いやはや、満腹満腹…車載冷蔵庫のおかげで、食料品は冷え冷え…いや、冷やしすぎで凍りすぎ…で、このとき、小さなアクシデントが…写真の二人の真ん中当りに、20㎝ぐらいの「百足(ムカデ)」がニョロニョロ…流石に見逃すわけにもゆかず、旅先でも殺生を重ねる始末…
…で、夜から人間を守るオレンジのテントは間違って2名用を持参したため、私一人が蚊帳の外…ならぬタープの下で夜を明かすことになりましたが、それはそれでのびのびとした夜を過ごししましたぞ…
…下の写真は、サイトからは夜景が十分に得られなかったため、場所を移して撮った甲府盆地の夜(深夜1時頃)…この時間、街の明りはピーク時の50%くらいに減少していました…で、敢えてその時間帯を狙って起き出したものの、この夜は、期待した星空は雲の上…ジャンネン…(>_<)
…で、タープの下で夜を明かし、目覚めてみると愛犬が哲学中…「おっ、絵になるな」と眠気覚ましのシャッター音…愛犬のお尻の下には、私が使うはずだったシュラフ…まっ、いいか(-.-)
…ということで、本日はここまで~(-.-)