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20250107 山さんブログーその104

…穏やかな天候とそこそこに平和的な国際情勢に安堵した三が日を過ごしましたが、早いもので今日は1月7日…言わずと知れた「七草がゆ」の日…正月気分を脱ぎ捨てて、いよいよ2025年の始まりです…

…ということで、年始に相応しい縁起物…1月5日の海上からの富士山を貼り付けましょう…但しこの日の私は坊主撃沈…ゼロからの始まりです…

…駿河湾とカモメと富士山と大空…(右上のカモメは孤高の私)…

…さて…「新たな年」は、自らの過去に積み重ねた行動をキャンバスにして、新たな色が塗られて行きます…そこで、昨年までの75年を振り帰ってみますに…はて、自分はどれほど多くの方に迷惑を掛けてきたであろうか…という贖罪(しょくざい)意識の重さがあります…とある方が私に期待してくれたことへの裏切り、自らの行為その事による裏切り…その記憶の相手は名前と顔がはっきりと思いだせる方もあれば、顔はおろか名前さえ忘れている方がいることに愕然と致します…思い出せる顔がある場合でも会わなくなって久しい20年前の顔、30年前の容姿、40年前の後ろ姿…わたし自身が「あちらの世界」に逝く前に、それぞれの方々にどうすればお詫びの言葉や感謝の思いをお伝えできるのでしょう…住所が分かる方は数えるほどです…これには無念の一語あるのみです…(=_=)

…ましてや…既に鬼籍に入られた恩人へのお詫びと感謝をや…_(_^_)_

…言うまでも無く、私にも一般的に良い事と言われる行いも少しはあったはずですが、対象が無形無像であったのか、具体的な名前と顔がまったく浮かんでまいりません…やはり、良い行いは何一つ無かったようです…(-_-;)

…となりますと、このままで人生を終わらせることも出来ませんね…(–;)

…んで、少しは良い事をして、せめて「特定の人と、狭い範囲の世の中」に恩返しをしなくてはならないとの思いに満たされつつ、12月25日から始まった年末年始をどう過ごしたかと言いますと…少しばかりゴタついた私事に振り回されつつ、リビングの床に積まれた書物達が…「こら~_(_^_)_、いつになったら目を通すのだ???」と、有りもしない「後ろ髪」を引くものですから、「そりゃ尤もだ(-_-)」と応えはしたものの…手にしたのは月刊誌「致知」の1月号…12月31日には早くも2月号が届いていたもので、せめて1月号は完読しなくてはとの焦り……この「焦り」が良かった…さすが新春を言祝(ことほ)ぐ 1月号…内容が素晴らしいのだ…

…その1月号、巻頭の言葉は、高千穂神社宮司の後藤俊彦さん…

「農は国の基」…神話に遡る稲作文化…と題し、日本の食糧自給率が実質18%まで激減していることへの問題提起…自分勝手、プラス、わがまま放題し放題に傾斜する日本人が忘れ行く自己尊敬(セルフリスペクト)、自己犠牲(セルフクリファイス)、自己責任(セルフレスポンシビリティー)、そしてなにより日本人的な「惻隠(そくいん)の情」…遠くは「武士道」に集約された「生き方」の大道です…

…それを忘れちゃいませんか…ときたもんだ_(_^_)_

…ところで、この「武士道」というのは江戸から明治に活躍した山岡鉄舟が初めて使ったと言われてます…が、「山さん」こと私めは、はてさて?そうかな?とも訝る次第…と申しますのは、この「武士道」という「道徳」…「サムライの矜持(きんじ)」が尊ばれた鎌倉時代あたりから使われていても不思議はありませんからね、…

…と、「武士道」という言葉の起源クダリに異を唱えつつ、一方の「騎士道」にも敬意を表してみると、西洋での「騎士道」は500年ほどの歴史だとか…そして現代は「武士道・騎士道」とも死語になりつつあるとは言え、「一年の計」を計らうには無視できない精神世界の道標(-_-)…

…特に私の場合、騎士道においてや、女性に敬意を表するという心模様は「女性への憧れ」という側面からも親近感を覚える次第…んっ(ё_ё)?私の場合、違う視点による見方かや_(._.)_…

…そんなことを考えながら「致知」のページをめくっておりますと、特集「万事修養」では、稲森和夫さんの言葉を紹介しておりまして…_(._.)_尤も、稲森さんの宝言葉は山のようにあります…その一欠片

…知らない人も知っている稲森さん…

…「困難とは神様がもっと成長してほしいという愛をもって与えた」のであり、「困難は愛の変化形」だと言うのです…他にも「挫折は人生の栄養になる」とか「辛酸をなめることが魂を磨く」とか…

…ならば稲森さんよ…その定理は私だけに当て嵌まらなかったと言うのかや(–;)…と反論しつつ…

…方や西洋では「幸福論」で有名なスイスのカール・ヒルティーという御仁が、今だ自信を持てず能力の無い私のため?に「力というものは弱点に打ち勝つ習慣から生じるのだ」…と力強く宣言していたり…因みにこの「幸福論」の書物は超有名でしたから、私も文庫本で読んだ記憶が断片的に蘇ります…ンッ_(._.)_、ならば私は未だボケてないではないか…いや、やはりボケてる…いつ頃のことか思い出せませんぞ…(-_-;)

…ヒルティー、1833年~1909年…

…更に翻って日本人…「人生において誰にでも訪れる困難な事態を試練と受け取るか、災難と受け取るか」は、個人の生活・生き方・その結果において、一生の分かれ道になる…と、本邦屈指の文芸評論家で、超有名人の小林秀雄の教訓があったり…彼の評論は大きく肯定せざるを得ない言葉のオンパレード言葉の力強さが胸を満たします

…この御方、故人だが言論・評論界のトップスターなのだ…

…で、次に特に引き込まれたのが、人生のどんな状況にも意味がある…というタイトルで、「勝田茅生」さんがフランクルに学んだこと…と、銘打つタイトル…彼女、精神科医でもあったフランクルの哲学思想、「ロゴセラピスト」日本支部(協会)の会長だとか…無知な私のことですから、ロゴセラピー等という枠組み…はて、これは精神科医療分野の話か、はたまた思想かや…と耽溺すること2回読み…大雑把に括ると、メンタルケアからの精神医療的哲学とでも言いますか…

日本ロゴセラピスト協会会長、勝田茅生さん
…ヴィクトール・フランクル、1905年~1997年…

…んで、このフランクルの超有名な作品に「夜と霧」があります…私も何十年か前に読み進めたものの、内容があまりにもおぞましく、読むに耐えられず頓挫してしまった記憶が蘇りました…その彼が、想像を絶するアウシュビッツ…いわゆるホロコーストでの経験をつづった「夜と霧」は人間が犯す史上最大の残虐物語を取り扱っていながら、最高レベルの叙情詩でもあるとも評価される書物…いやはや、善と悪が融合するわけでもあるまいが、人類史上トップレベルの叡智の言葉は重い重い…(-_-;)…で、下の写真が、改めて購入した「夜と霧」…

…待ってろよ~、今度こそ完読するぞ~(=_=)…

…その彼が、こんな言葉を遺しています…

自分が人生から何を期待するかでなく、人生が自分に期待しているものに目を向けよ…と説いているのです…深いね~(-_-)、そしてこのフレーズ、なんとなく思い出せませんか…そう(^.^)、35代アメリヵ大統領、ケネディーがアメリカ国民の心を「わしづかみ」にした言霊の原盤みたいなものです…

John Fitzgerald Kennedy. Adjusting tie and looking towards floor. Photograph dated 1/28/60. だそうな…

…私の記憶の中の言葉をそのまま投影します…間違ってたらごめんチャイ_(_^_)_

…ケネディーの言葉…「国家が皆さんの為に何をしてくれるかではなく、皆さんが国の為に何が出来るかを考えて欲しい」…と、概ね、そのような言葉を織り交ぜて演説していたように思います…

…話が逸れました…

…そのフランクルの思想が、哲学の分野で花開いていることを、この「致知」の中の「勝田茅生」さんの記事で知ることとなり、改めてフランクルの「夜と霧」を読み返してみたくなった機会になりました…

…んで、その他にも何人もの知性たちの生き方に感心しながら読み進めた42ページ目のこと…

…んっ(-_-;)、俳優でタレントのサヘル・ローズの話とナ(-_-;)…飛ばそう…と、一度は次のテーマに移ったものの、購読料という投下資金の回収には全ページ読破であったな~、というケチ臭い金銭感覚に負けて読み始めてみると…ムムムっ(-_-;)、おぬしデキルナ(–;)…というか、幼少期の苦労をバネにして成長する彼女の生き方の素晴らしさと、人間味の豊穣さ、彼女を取り巻く身近な人たちの「愛」が織りなす涙涙の感動物語ではありませんか…

…これはもう、転載しないわけにまいりません…ということで…

サヘル・ローズの第一声…[一人でも多くの人に〝ありがとう〞の言葉を届けたい]…より、全文転載です…

… …戦火の中のイランに生まれ、幼少期を孤児院で過ごしたサヘル・ローズさん。八歳の時に養母であるフローラさんと共に来日。現在は俳優・タレントとして幅広く活躍、難民などの国際人道支援活動にも尽力するサヘルさんに、壮絶な人生の歩みを交え、一人ひとりが心豊かに、幸せに生きるヒントをお話しいただいた。

…忘れられていく人々の声なき声になる…

──イラン出身のサヘルさんは俳優、タレント、国際人道支援活動など幅広い分野でご活躍です。いまは特にどのようなことに力を入れて取り組んでおられますか。

…とてもひと言では言い表せないのですが……。いま私の一番の軸になっているのは、児童養護施設で暮らしている子ども達や戦争などで居場所を奪われた人々が世の中から忘れ去られないように、どうやって自分が相手の声になり、電波塔になってその存在を伝えていくかなんです。

…助けを必要としていても、あっという間にニュースに取り上げられなくなっていき、世間の関心が薄れ、「過去の人・出来事」として忘れ去られてしまいます。多くの人の目に触れる仕事をしている私だからこそ、いい意味で自分の名前を利用して、忘れ去られていく人々のために何かできることがある。その思いで支援活動に取り組んでいます。


…そのため、私はなるべく現地へ行き、当事者の声を聴くことを大事にしてきました。これまでイラクやバングラデシュ、カンボジア、祖国のイラン、つい最近ではウガンダなどを訪れました。

──やはり現地に足を運ぶことで、初めて見えることがありますか。

…はい。現地の人々は皆、肌の色も宗教も関係なく誰かとつながりたいと思っていますし、人生の夢や目標を持って懸命に生きています。実際に触れ合うと本当にぬくもりにあふれた人ばかりなんです。

…特に驚いたのは、祖国も居場所も奪われたのに、多くの子ども達が憎しみや恨みの感情を抱いていないことです。ウガンダの難民居住地で出会った子ども達も「なぜ自分たちが傷つかなければいけないの?」ではなくて、「これ以上、同じことが繰り返されてはいけない」と話してくれました。誰もが争いたいわけじゃない。結局、紛争の一番の犠牲者になるのは一般市民なんです。

…また、対立する双方がそれぞれに戦う正義を持っていて、外部にいる私たちがどちらかが悪いと白黒つけたり、一方に加担したりすることは決して解決にならないことも学びました。ですから、平和の種きとして、私は特に戦火で傷ついた子ども達が同じことを繰り返さないよう、武器ではなくペンを握ってもらう環境づくり、教育支援に力を入れているんです。

──日本でテレビを見ているだけでは伝わってこない現実です。

…そして現地を訪れる中ですごく疑問を感じるようになったのは、先進国ではSDGsと言いながら、私たちの豊かな生活が途上国の人々を低賃金で働かせ、さくしゅすることで成り立っているということもまた事実だということです。この機器の部品一つだってそう。現地で見た事実を伝えることで、一人ひとりがフェアトレードの商品を選ぶようになれば、すぐに戦争や搾取を止められなくても、これ以上、加担しないことはできるはずなんです。
自分にできる小さな行動が平和な世界へと繋がっていく。そう信じています。

俳優 サヘル・ローズ

…1985年イラン生まれ。幼少期から孤児院で暮らし、7歳でフローラの養女として引き取られる。8歳でフローラと共に来日。高校時代から芸能活動を始め、俳優としても映画やテレビで活躍。主演映画『冷たい床』は様々な国際映画祭で正式出品され、イタリア・ミラノ国際映画祭にて最優秀主演女優賞を受賞。また、過去には国際人権NGO「すべての子どもに家庭を」の活動にも参加し、親善大使を務め、私的にも国内外の子供たちや難民たちの援助を続けている。アメリカの人権活動家賞受賞。著書に『Dear16とおりのへいわへのちかい』(イマジネイション・プラス)『これから大人になるアナタに伝えたい10のこと:自分を愛し、困難を乗りこえる力』(童心社)など。現在初監督作品『花束』が公開され、大きな話題を呼んでいる。

養母・フローラとの運命的な出会い

──サヘルさんの人生の原点、これまでの歩みをお話しください。

…私は1980年代、イラン・イラク戦争の最中に生まれました。私の記憶は4歳頃から始まるのですが、その時には既にイランの児童養護施設に入っていました。出生届が出されておらず、実の両親も、自分の名前も誕生日さえ分からない。いまの年齢も、当時の背丈から「これくらいだろう」と決められたものなんですよ。
…両親の記憶がある子は、鏡を見てお母さんに似ている、お父さんはこんな人だったと似顔絵が描けるのですが、私を含めてそれができない子どもは大勢いた。鏡に映る自分は自分であって自分ではない。私はどこから来て、誰の血が流れているのだろうと、いつも考えていました。

──戦火の最中に両親と別れ、つらく寂しい幼少期を過ごされた。

…でも7歳頃、当時テヘラン大学の学生で人道ボランティアをしていたいまの養母・フローラと出会ったことが、私の人生を変えました。施設を訪れたフローラと初めて出会った瞬間、私が…「マダル(お母さん)」と呼んだんです。それまでどんな大人に出会っても、「お母さん」と呼んだことはなかった。そう、フローラは、「マダル」と呼ぶ私の目を真っぐ見て抱き締めてくれた。

──ああ、とっにお母さんと。

…その後、何度も面会を重ね、フローラが私を自分の子として引き取ってくれることになりました。おそらく「マダル」のひと言が、私を養子にする大きなきっかけになったのだと思います。
…というのは、フローラもいろいろな事情から母親の愛情を受けられず、祖母を「マダル」と呼んで育ったんです。そして祖母は、フローラが15歳の時に病気で亡くなってしまうのですが、その最期に「愛を持って接すれば、どんな子供も立派な人間に育っていける。だから将来、孤児になった子供を一人でいいから育ててあげて」と彼女に伝えたそうなんですね。


…祖母との約束があったから、フローラはボランティアとして養護施設を訪れ、自分のことを「マダル」と呼んだ孤児の私を「きっとお祖母ちゃんと約束した子だ」と引き取りに来てくれたのです。私の「サヘル・ローズ」という名前も、砂漠に咲くバラのように強く生きてほしいとの願いを込めてフローラが名づけてくれました。

フローラさん(右)に孤児院から引き取られた時の幼いサヘルさん

自分が信じるからこそ相手に信じられる

──運命的な出会いでしたね。児童養護施設を出てからは、どのように歩んでいかれたのですか。

…フローラの生家は裕福な家系でしたから、孤児の私を養子にすることに反対でした。その反対を押し切ったことで、フローラは一時家族に絶縁されてしまいます。それで当時、留学で日本に暮らしていた旦那さん(義父)を頼って来日することになったんです。1993年、私が8歳の時でした。


…私は小学2年生から埼玉県内の学校に通い、フローラと義父との新しい生活が始まりました。でも、義父が私に暴力を振るうようになったことで、フローラは私を連れて家を飛び出したんです。しばらく公園の土管で寝泊まりして学校に通う日々が続きました。

──その厳しい状況はどのように乗り越えていかれたのですか。

…その頃はまだスマートフォンも普及していない、人と人との関係がとても近いアナログな時代で、お互いに助け合っていくお節介文化が地域に根づいていました。ですから、お腹をすかせた私たちがスーパーの試食コーナーに行くと、店員の方も見慣れない外国人の親子がいつも来ている、きっと事情があるに違いないと気づいてくれたのだと思います。ある日、店員の方が、何もせんさくせずにおかずがたくさん入った袋をすっと差し出してくれたんですね。


…外国人だからとレッテルを貼らず、同情ではなく同じ人間として見て、自然な形で自分のできる手助けをしてくれた。心救われましたし、アナログほど人間を救うものはないと実感させられました。

──心温まるお話です。

…本来、人間は同情のまなざししを向けられると、逆に自尊心が傷つくものなんです。このことは、いま難民の方々の支援の際に忘れないようにしています。

…あと、もう一人手を差し伸べてくれたのが、学校の給食のおばちゃんでした。下校する時に「大丈夫?」と声を掛けてくれ、私が一所懸命「パーク(公園)」と伝えたところ、事情を察してくれたのか、自転車の後ろに私を乗せて自宅まで連れて行ってくれました。最初は誘拐ゆうかいされたと思いましたが(笑)、合鍵を持たせてくれて、母と一緒に1か月半も自宅に住まわせてくれたんです。さらに日本で生活する上で必要な手続きを手伝ってくれただけでなく、アパートを借りる保証人にまでなってくれました。

──素晴らしい方ですね。

…おばちゃんも周りから「そんなことして大丈夫なの?」と心配されたそうです。でも、おばちゃんは「困っている人を助けるのは当たり前」「自分が信じるから相手も信じてくれる」と言って、私たちを助けてくれた。おばちゃんも、シングルマザーで苦労して子育てをしてきた方でしたから、私たちを放っておけなかったのかもしれません。

人を疑うのは簡単なことですけれど、人を信じるためには、自分の中にすべての責任を受け止める覚悟と、周りに流されない確かな基盤がなければできないことです。自分自身を信じ、愛しているからこそ、他人を信じ愛することもできる。おばちゃんとの出会いを通じてそのことを教えられました。

…また、おばちゃんは、イラン人だからとか、主語を大きくして一括ひとくくりにせず、「私とあなた」の関係で私たちに接してくれました。…皆さんも「日本人は……」って一括りにされると、「自分は違う」と思うこともあるでしょう? ですから、何事も主語を小さくする訓練、習慣づけをしていくことが、誰もが幸せに生きていける温かい社会に繋がっていくのだと思うんです。

無条件の肯定が人の心を癒やし励ます

──主語を小さくする。人がお互いに理解し合う上でとても大事な姿勢ですね。その後は日本での生活も安定していったのですか。

…残念ながら、それからが本当に大変でした。校長先生が日本語を教えてくれたりして、子供の私は割と早く言葉も上達し、日本の環境にもんでいったのですが、母は言葉は通じず、友達もできない中ですごく孤独でした。それに、私を育てるため清掃員やじゅうたんを織る仕事など、朝から晩まで働き詰め…。もともとは良家に生まれ、学歴も才能もある人ですから本当に辛かったと思います。

…児童養護施設の支援においても、子供と一緒に親、大人を救わないと問題の解決にはなりません。実際、親の孤独やストレスがまり溜まって虐待してしまう、というケースが多いんです。誰でも犯罪者として生まれてくる人はいません。ですから、目の前の虐待を単に非難するのではなくて、なぜそうなったのか、皆がその背景まで考えるようになれば、もっといろいろな問題や対立が解決していけるでしょうし、もっと他人に対して優しくなれるはずなんです。

──おっしゃる通りですね。

…ただ、私も中学の3年間、壮絶ないじめを体験しました。
…国籍のことで揶揄からかわれるようになり、いつの間にか私は「サヘル菌」と呼ばれ、無視をされるなど、どんどんイジメがエスカレートしていきました。学校のカウンセラーにも相談したのですが、最後にひと言「頑張ろうね」と言われて、さらに追い込まれ、苦しくなりました。この時、これ以上頑張れなくなっている人に、「頑張ろう」は絶対に言っちゃいけない言葉なんだと身に染みて理解できました。

…そしていじめに耐えられなくなった私は、中学3年の時に死のうと思い、学校を早退して家に戻りました。でも、仕事でいないはずのフローラがなぜか家にいたんですね。フローラは『コーラン』を胸に抱えて枕に顔を押し当て、「もう疲れた」と泣いていました。私が死にたいと伝えると、母はそれを否定せず「あなたが望むならいいよ。でも、お母さんも一緒に連れて行って」と言ったんです。

──サヘルさんの苦しみを否定することなく受け止めてくれた。

…もしそこで否定されたり、頑張ろうなどと言われていたら、自分は本当に死んでいたかもしれません。死にたいという自分でさえ肯定してくれたからこそ、私は生きていたいと思えたんです。


…そしてフローラを抱き締めたら骨と皮だけになっていて、母に比べれば自分は苦労なんてしていない、彼女はすべてを犠牲にして私のために人生をささげてきたことにはっと気づけた。その瞬間、初めて私はこう感じたんです。彼女を幸せにしてあげたいって……。

フローラが施設で私を見つけてくれたように、今度は私が本当の意味で彼女を見つけた瞬間でした。この時が、自分が生きていく意味を見出せた人生のターニングポイントだったように思います。

「世の中に当たり前のことなんて何一つないですし、あらゆることが繋がっていて、『ありがとう』と感謝すべきことなんです」(最愛のフローラさん[左]と共に)

あらゆることに感謝して生きる

──とても胸が熱くなる感動的なお話です。ちなみに現在の俳優・タレントの道にはどのようなきっかけで進まれたのでしょうか。

…これも最初は大学進学のお金を稼ぐためにいろいろなアルバイトをする中で、映画などのエキストラ会社に登録したのがきっかけだったんです。でも、イラン人ということで、回ってくるのはテロリスト役や殺される役ばかりでした。それで何とか祖国のマイナスイメージをふっしょくしたい、道がないのなら自分でつくろうと、俳優の道に進んだんです。
あとはなんといっても、自分が活躍することでフローラという素晴らしい女性がいることを多くの人に知ってもらいたいし、その名前を刻みたいという恩返しの思いです。

──祖国イランへの思い、養母フローラさんへの恩返しの思いを胸に仕事に向き合ってこられた。

…まだ道半ばの私ですが、丁寧に生きていれば必ず誰かが見てくれていますし、人生は本当に鏡のようなもので、自分が日々どんな言葉を発しているか、どんな思いで努力しているか、投じたものが全部自分に跳ね返ってくることを実感しています。そして失敗やどん底の経験をしたからこそ人の痛みが分かるようなったし、自分を大切にして人を愛せるようにもなった。ですから、今回のテーマ「万事修養」のように、どんな失敗や挫折も、必ず自分の成長のかてとして返ってくるんです。

──あらゆることが成長への糧になる。実感のこもったお話です。

…シンプルですが、いま私が大事にしていることは「ありがとう」の言葉なんです。きょうの取材も多くの人が思いを持って準備をしてくれたからこそ実現できましたし、この紙だってたくさんの人が関わってできている。ですから、世の中に当たり前のことなんて何一つないですし、どんな仕事にも上下はない、誰一人欠けていい人もいない、あらゆることが繋がっていて、「ありがとう」と感謝すべきことなんです。それに「ありがとう」を言われると、誰もが温かい気持ちになれます。

…これからも「ありがとう」の言葉を一人でも多くの人に伝えていくことで、誰もが自分らしく幸せに生きていける世界の実現に貢献してきたい。そう願っています。

   以上、   一人でも多くの人に 〝ありがとう〞の 言葉を届けたい

…というオハナシ…心洗われた私がほんの少々、心を入れ替えて1年を歩き始めようと思った今日…1月7日は…

…サラダ記念日ならぬ、こころ記念日…です_(._.)_     ここで道歌を一首…

…1年の始まりありて終わりあり 逃(の)がすな逃(に)がすな瞬時羽ばたけ…

…ということで、今号はこれで終わりにしましょうか…<(_ _)>、なお、新年に際し会社の方針でブログが激減しますので悪しからず…

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